見出し画像

おかえり、オタクな私。

お休み75日目。
私「オタク辞表」を破り捨てました。
なんやそれ、という声が聞こえてきそうなので、ちゃんと書きます。

「推しからしか得られない栄養素」は確かにあるけれど、それを栄養素として得られるかどうかは、自分自身の心身が健やかであるか否かに大きく左右されるのだということを、ひしひしと実感している今日この頃。

ここ数日、好きなことをちゃんと好きだと感じられて、ちゃんと楽しいことが嬉しい。推しが居るということが、健やかに生きていくためのビタミン剤として機能している感覚を、久しぶりに味わっている。というか、失くしたものを取り戻した、忘れたものを思い出したような感覚に近いのかもしれない。
「そうか!これが推しだった!」という手応えが、ほんのちょっとの懐かしさと新鮮味の両方を連れて、私の心の中をぴょんぴょん飛び回っている。

というのも、適応障害になってからというものの、私の人生から「推しが好きで楽しい」という感情が行方をくらましていたのだ。

いやいや、そんなこと言ったって、お嬢さん今年に入ってからも何度か現場に行っていたじゃないですか。そう、そうなんです。

私、休職直前の1月末には推しに会うために宮城まで遠征したし、休職し始めて3週間くらい経った頃にも、地元で推しに会いに行ったし、休職し始めて1か月とちょっと経った頃には、ちょっと遠出して舞台も観に行っていたんです。
1月の宮城と2月の地元公演の頃は、正直体も心もかなり限界ではあったけれど。物心ついた頃から、この世界が好きで、私は一生オタクなのだろうなどと思いながら生きてきたものだから、「オタク出来なくなると、私の人生ももう終わり」なんて、これ以上何も失いたくなくて、私を私で在り続けさせるために必死にオタクの形をしていたような気がする。

あそこで感じた、好きだ、楽しいという感情もすべて偽物ではなかったと思う。

だけど、ちょっとの無理をちょっとずつ重ねて、取り繕ったように形を成した好きや楽しいは、脆くて、すぐに泡のようにぱちんと儚く消えてしまう。

申し込むときも、抽選結果を待つ間も、当選してからも、会場に着いてからも、公演が始まってからも、ずっと、頭の片隅どころかド真ん中に漠然とした不安があって、何かに追われていて、確かに自分の人生のはずなのに、ほんの一寸先も見えなくて、何もかも自分の力ではどうにもならないという絶望感が消えなくて。

ずっと、「私はこれが好きなはず、これが楽しいはず」と自分に言い聞かせながら、確かめながら、必死にすがるような気持ちで観ていた気がする。私は、無理をしていたんだと思う。

不思議なことに(そしてめちゃくちゃ勿体ないことに)、この3か月の現場のことは、大して時間も経っていないし、記憶が上書きされていくほど沢山観たわけでもないのに、ほとんど思い出せない。記憶に残っていないというよりも、心に入ってきたはずの栄養素たちが、一瞬で消えてしまった感じ。
公演が終わって少し経つと、あれ私ってこれが好きやったんやっけ、楽しかったんやっけ、と自問自答してしまう。好きな人たち、好きなこと、好きな場所には何の非も、何の落ち度もないのにどうして。好きなはずなのに、楽しいはずなのに、変わらず輝き続けてくれているのに、その輝きが受け止められない。いつもみたいに、余韻で生きられない、これを糧に頑張れない、何も感じない。

ああ、好きや楽しいが分からなくなるって、こういうことか。
これから私はどうやって生きていくのだろうか。

そんな事実が、苦しくて悔しくて辛くて空しくてたまらなかった。一丁前に、ああ私もここまでか、これが潮時か、やだな、こんなことでオタクじゃなくなっちゃうの不本意極まりないな……と嘆いた。でもこんなに好きも楽しいも分からないなら、もういっそ。と、いつでもすぐに諦められるように、オタクとしての辞表を心の中に準備した。

だけど、今はまだ、それを提出するときではないのかもしれない。


当初思っていたよりもずっと時間は掛かっているけれど、上がったり下がったりを繰り返しながら、心と体の調子が整ってくると、次第にじわじわと「推しが好きで楽しい」という感情が戻ってきた。「好き」「楽しい」という感情の色がだんだん濃くなっていく。モノクロの世界で見ていた色よりも、もっと鮮やかで優しい色をまとっていて、私の世界の色と調和していく感じ。

テレビで歌っている姿を見て、今度のコンサート楽しみだなと思えるようになった。舞台もコンサートも、まだまだ色んな公演を観に行けるなんて、私の人生捨てたもんじゃないなと笑えるようになってきた。まだまだ、好きな人たちの色んな歌を聴きたいし、色んな表情を見たい。もっともっと幸せそうに笑っている姿を見ていたい。

あ、これなら、また楽しく私らしく、推しから栄養をもらいながら生きていけるのではないか。
ほんの少し、自信が沸いてきた。

おかえり、オタクな私。