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私の現在地。

お休み71日目、25歳になった。

休職中に新年度を迎えて社会人3年目に突入したし、休職中に誕生日を迎えて歳も取った。
「もう何も怖くない」と言えば噓になるけれど、ぽつぽつと書いていたように、むやみやたらと自分のことを責めなくなった。自分でも気付かないくらい自然に、ずっとずっと自分を責め続けていた「私」に気付けた。

あの日いがみ合う家族の間で、立ちすくむことしかできなかった自分のこと。何も頑張れなくなって、そのままの私で進み続けるのが怖くて、もう朝なんて来なきゃいい、ずっと夜ならいいのに、明日なんていらない、と、休職という道を選択した自分のこと。ずっと「逃げだ」「甘えだ」「私が弱いからいけなかったんだ」と思い続けていた。そんな風に思っちゃいけない、そんな風に考える必要もないと、ちゃんと分かっていたはずなのに。多分ずっとずっと心の中に居たんだと思う。そして、今も多分居る。自分のことを責めちゃう、本物の弱い「私」は今も居る。だけど、「私」が出てこなくても、今の私はちゃんと過去とも今とも向き合えるよ。みたいな感覚。

だってさ、逃げてないと思うんだよ。甘えでもなかったと思う。進んでいるような感覚はしないけれど、立ち止まっているわけでもないんだと思う。

今生きているし。あの時消えなかったし。今を辞めずに、生きることを続けている。

生きることを続けていたら、友達や家族が私の知らなかった新しい世界を教えてくれた。
そのおかげで、25歳一発目に瞳に飛び込んできたのは、大きなスクリーンの中で少年たちがバレーボールを必死に追いかける姿だった。そんな彼らの成長し続けている姿にボロボロと驚きと嬉しさと感動の詰まった涙を流して、もう一回観に来るぞ!と未来を約束できるようになっていた。

今日の私は、明日が欲しい。明日は今日よりもっともっと私を好きになりたい。明日も明後日も、これからは好きな私で生きていきたい。明日が恋しい。

25歳の抱負。私を大切に、私の人生を思いっきり好きになる。
そのためには心も体も健やかでいなくちゃね。