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一生分の青春を。

「一生分の青春を。」
なんて綺麗事と自分でも思うけれど、今を全力投球で生きる貴方を見ているとこんな言葉を届けたくなってしまった。

2022年8月26日の今日、30歳になる貴方へ。
私はこの夏の終わり、貴方に色褪せることのない一生分の青春を捧げたいと思う。


「見てて。こっからじんわり上がっていくから、待ってて。」

重岡くん、2018年10月のan・anで「ジャニーズWESTに足りないもの、必要なもの。」と聞かれて「知名度と人気、やな(笑)」と答えた後に、こう言ったのを覚えていますか。誌面に切り取られた言葉だから、どんな温度で生まれたものかは想像することしかできないのだけど、私はこの言葉が大好きだ。私が貴方に出逢った「僕を信じて」という詞の延長線上にあるような気がして、いつまでもお守りのように心の中にしまってあるくらい、大好きなんだ。

この言葉には、誌面を越えた続きがある。
翌2019年はドラマ5クール連続出演、それから今に至るまでお芝居のお仕事が続き、いつしか『お芝居』が重岡くんの一つの代名詞になったように思う。それだけじゃない。同年のバレーボールサポーター、2020年の24時間テレビにだって出演した。
そう。本当に上がっていったのだ。じんわりどころではなくグンと。決して無理なスピードではなく、着実に知名度と人気を高めると共に実力と自信を付けながら。

そんな中迎えた重岡くんの20代最終章は、文字通り真っ赤っかのスケジュールで、ページを捲る度に情景が変わっていく、目まぐるしいものだった。
2022年。アリーナツアーに、連ドラの主演、音楽フェスへの出演に三大ドームツアーを叶え、デビューして9年目の夏にリリースした『星の雨』は自己ベストを更新。そして、大好きな人たちに見守られながらボクシング対決をするという夢まで叶えた。フェスでもドームでも、そしてリング上でも、「ここでこの曲やるのが夢やってん」「こんな貴重な経験させていただいて、ありがとうございました」と、いっぺんの曇りもなく笑窪を輝かせながら語るその表情や、夢が叶った瞬間の温かく柔らかな表情は私の宝物になった。

そんな止まることを知らない重岡くんの活躍っぷり、ジャニーズWESTの活躍っぷりを見る度に、先に書いた4年前のこの言葉を思い出して視界が滲んでしまっていること、貴方は知っているかな。

私は、重岡くんの新しい顔を沢山見ることができたこの夏のこと、でも、その顔のすべてがやっぱり大好きだと気付けたこの夏のこと、重岡くんの夢が叶う場面に沢山立ち会うことができたこの夏のこと、そして、いつもどこかで嗅いだことのあるような懐かしく愛おしい香りがずっと鼻先を掠めていた、そんなこの夏のことを、一生忘れられないだろうと思う。


ここで少し思い出話をさせてほしい。
11年前の夏に、時計の針を戻してみようと思う。

11年前、2011年の夏。私は松竹座のど真ん中で「僕を信じて」と歌い上げ、夢に向かって高く高く指を掲げる貴方に恋をした。白く細い頼りない腕で分厚い日記を抱え、「あの空が青いから」と塀の向こうに手を伸ばす。そんな役の透明感と儚さをそのまま纏ったような華奢なからだでステージに立ち、強く照らすスポットライトにも負けずキラキラと輝きを放ちながら、関西ジャニーズJr.のど真ん中に立つ貴方に、強く強く惹かれたのだ。

あれから早11年。その道のりは順風満帆なものではなかったかもしれない。当時のことを貴方たちは「自分たちには何もなかった」と言う。私の目には、決して何もないようには映っていなかったけど、きっと本人にしか感じられないことも山ほどあっただろうし、沢山、思い悩んだ日もあったのだろう。これで良いのか、このままで良いのか。藻掻いて、足掻いて、捨てて、拾って、何度も試して。今思えば、貴方たちも私たちも、何かを掴もうと必死だったように思う。

そんな中でもいつだって貴方は、「僕を信じて」と歌う重岡くんに惹かれたあの夏のように、ずっと手を引いてくれる存在で居続けてくれた。「センターらしくない」と言われることも多いけれど、間違いなく、重岡くんは唯一無二のジャニーズWESTの“センター”であり、“太陽”であり、“心臓”で居続けてくれた。

これまでの道中で、重岡くんは何度も何度も「青春」というキーワードを口にし、あらゆる角度から「青春」を描いてきた。

「僕、捧げてきたんで、ジャニーズに。人生も、青春って言う青春も全部。」
始まりは2015年の10000字インタビューでの文章だったように思う。当時、これを読んで「そうとなれば、私だってとことん捧げてやる」とボロボロ涙を流したのを昨日のことのように覚えている。

「揺れる心 行け涙 僕の愛してる」
2018年1月、初めて作詞した『乗り越しラブストーリー』の最後の一行。
「頑張れなくていい 嫌になったっていい 情けなくていい ダサくていい 怖くなってもいい どんな自分だっていい」
2018年12月、初めて世に放たれた“作詞作曲・重岡大毅”な『間違っちゃいない』の一部分。
どの詞も宝物すぎて選べないけれど、こんな風に自分のこと奮い立たせて、慰めて、認めてあげて、生きてきたのかなって、いつも何度でも重岡くんの優しさに恋をする一節。ゆらゆらと揺れてしまいがちな私の心を、いつも何度でも支えてくれて、涙を拭いてくれる一節。

「思い出し笑い出来るんだ」「でも何もかも失くしたくない」
2020年3月、重岡くん作品3曲目の『to you』の二節。
「少年たちがいた あの頃の僕らだ 季節外れのTシャツで 何だって出来るってそう思えったっけ」
2021年5月、重岡くん作品8曲目の『ムーンライト』の一節。
無邪気に無茶してはしゃぎまわったあの頃の"青春"を"現在"に連れてきてくれる気がして、重岡くんの作る曲には、重岡くんの作る曲を歌うジャニーズWESTにはそんな魔法が掛かっている気がして、しがない一社会人の私も無敵になれる大切な曲。『ムーンライト』には他にもたっくさんの青春が詰まっている。重岡くんが「いっぺんの曇りもない青春を書いた曲」「この曲で、仲間と過ごした景色を、死ぬまで昨日のことのように思い出せる」と語るくらい。「真昼間の月に種を植えてみたくなったのは いつか君を襲う夜の底 一輪の光を」くれるから、私も「どこまでも行けそうな気がしてさ」。貴方とどこまでも走ってみたくなるんだ。

「生きてくって大変だ」「生きてくって楽しいんだ」
2022年1月、重岡くん作品10曲目の『オレとオマエと時々チェイサー』の二節。ここまで挙げた曲とは違って、少し脂の乗ったいい大人な青春。だって、生きてくって大変だけど楽しいってことを知っているのだもの。生きることを楽しむ術がぎゅっと詰まった一曲。私もこんな大人になりたい、と、一杯飲みたくなる。

そして、最初の“青春”から7年が経った2022年。アリーナツアー最終日の6月12日に重岡くんはWebに「男子高校生みたいに生きてる瞬間がある。この先いつか今日にタイムスリップできるように、タイムマシンを作る(意訳)」なんて詞みたいなことを書いていた。嗚呼、重岡くんも私も今青春の真っ只中に居るのだ。大人になったけれど、なってしまったけれど。諦めなきゃいけないことだって色々とある世の中だけど、青春を諦めなくて良いんだ。そう思えて涙を堪えきれなくなった。そして、また捧げたくなった。大人になってからの第二の青春も全部ぜんぶくれてやる。
(だからと言っては何だけど、重岡くんがタイムスリップするその一瞬、その景色の中に私も居られたらいいな、なんて。少しでも長く、共に生きていられたらな、なんて。)

そんな中、30歳を目前にした重岡くんが世に放った楽曲が『愛情至上主義』だった。重岡くんがずっと好きだった、GOING STEADYやTHE BLUE HEARTSの香りがする重岡大毅にしか書けない、ジャニーズWESTにしか歌えない青春パンク。
「記録とか記憶とかどうでもいいや、自己ベストでぎゅっと抱いてやる」と歌う。「1,2,3大好きだ 愛してる ほかに何にももういらない」重岡大毅の青春はド直球だ。そうだ青春は、きっと勝ち負けじゃない。一番の敵は自分自身で、自己ベストを更新し続けていれば、ずっとずっと青春の中に居られるのではないか。重岡くんの中の青春像が、また一つ輪郭を濃くした気がした。

青春って酸いも甘いも、成功も失敗も、出会いも別れも、歓びも哀しみも全部つきものだ。傷だってたくさんできる。だけど、何よりも輝いている。尊く、清く、誰にも邪魔させて堪るかとでも言うかのように、強い光を放っている。重岡くんは、そんな青春を、共に生きて、歌って、支えてくれようとしているのではないか。

「見に来てくれる人みんな、頑張って生きてると思うねん。」
「毎日お疲れさーーーん」
「あなたの心の支えになりたい」
「応援してるぜ、死ぬほどな!」

重岡くんが紡ぐ言葉たちは、いつだって優しくて柔らかくて面白いくらいに真っ直ぐで熱い。ド直球に投げてくれるその言葉たちは、見方を変えれば、綺麗事だらけみたく映るかもしれない。だけど、そんな言葉たちを重岡くんは少年漫画の主人公にように、照れたり恥ずかしがったりすることなく、ド直球にその時の温度で速度で投げてくれるようになった。

重岡くんは明るくて強くて逞しくて、それで居て、とても繊細な人だと思う。なんてったって口癖は「大丈夫かなぁ」だもの。そんな重岡くんが先日のドームツアーの終わりがけ、仕切りに「大丈夫大丈夫、大丈夫よ」と誰にでもなく言い聞かせるように溢していたのも印象深い。

先日、ドラマを観ているとこんな台詞があった。
―根拠のない大丈夫は、優しさの塊です―(『初恋の悪魔』坂元裕二)
そして、こう続く。
―綺麗事ばかり口にする人は、たくさん泣いてきた人かもしれません。―(『初恋の悪魔』坂元裕二)(坂元裕二作品を生きる重岡くんを見るまで死んでも死にきれないので、いつか叶うと良いな…とか。)
本当にそうなのかもしれない。傷ついた分、藻掻き足掻いた分、悩んだ分、泣いた分、重岡くん自身が、綺麗事とも取られてしまうようなド直球な言葉たちに沢山救われてきた人なんじゃないだろうか。そして、あの頃よりもさらに、真っ直ぐ優しく熱い言葉たちを選び届ける人になったのではないだろうか。いつか「綺麗事を言わせるなら俺たちは天下一品」と言っていたのを思い出した。確かに、貴方たちの綺麗事は、どこか泥臭く、人間らしく、その誠実さに「うん」と頷いてしまうものばかりだ。

今はいつか終わる。終わってほしくないけれど、この青春にも、いつかその日が来てしまうのかもしれない。しかし、それは残酷なことではなく、世の常なのだと。貴方は知っているのではないか。ステージに立つ貴方を見ていると、そんな想いが過る。

始まりには終わりがつきもの、いずれ、この時間は終わってしまうかもしれない。だから、一分一秒も無駄にしないため後悔しないため、どの瞬間も全力で生きるのだ。「燃え尽きるまでステージ上に立ち続けたい」そう語っていたように、暑く熱く厚く篤く、命を燃やして、ステージに立ち、今日も誰かの心を支えている。


あどけなさと儚さの共存する表情は、ぐっと漢らしく、より一層精悍な顔つきになった。
華奢だったからだは格闘技や濡れ場なんかも似合うほど、大人らしく逞しくなった。
白く細い頼りない腕は、力強く拳を掲げるようになった。
空高く掲げていた指先は、力強く鍵盤を叩いて自由自在に音を奏でる指になった。
どこか照れくさそうに、自分の作品たちを紹介していた言葉たちは、「あなたの心の支えになりたい」「見て欲しい」「聴いて欲しい」と躊躇いの欠片も見えないほど力強く自信に満ちた言葉たちになった。

それでもアイドルという仕事を青春に重ね、その中で全身全霊に生きる姿、相変わらず優しく柔らかく微笑む表情や真っ直ぐに熱く繊細な愛情を届けてくれる言葉選び、ステージの真ん中でドクドクと脈打ち続けるセンターとしての姿は変わらず、歳を重ねる度、その魅力を増し続けている。

一度も染めたことのない真っ黒な髪、今年はあの頃のように少し重たげに伸びているね。
大一番の為に絞っていたのかな、輪郭はあの頃のようにシャープにしゅっとしている。
くっきりと浮かぶ左上の笑窪は、あの頃のまま、そこに在り続ける。
どれだけ変わっても、どこまでも変わらないものがある。

貴方の新しい姿を見る度、新しい世界に触れる度、変化と継続を感じて、私は何度も何度も恋をするのだろうと思う。
あの頃みたいなんだ。こんな風に、いつまでも自己ベストを更新し続けるような私のこの気持ち。ずっと好きで好きで大好きで、甘酸っぱくて瑞々しくて初々しくて、初恋みたいな感情があの夏が鮮明に蘇ってくる。あの頃思いっきり楽しんでいた青春の続きに居られるみたいで、懐かしくて愛おしい香りをずっと覚えていられるんだ。


重岡くん。「僕を信じて」と高らかに歌い上げた貴方が指差した先には、大人になっても色褪せることのない輝きを増し続ける青春が繋がっていたよ。10代の頃の貴方が人生も青春も全てを懸けた「ジャニーズアイドル」というお仕事は、「ジャニーズWEST」という形になって、唯一無二の「青春」という色を付けて、沢山の人の生きる理由になっている。貴方が命を燃やすかの如く歌い届けてくれるように、私も貴方の心の支えになりたい、なれていたらと思う。いつだって「毎日お疲れさん」「大丈夫、大丈夫、絶対大丈夫だから」と繰り返すから。記録にも記憶にも残すくらい、自己ベストで愛しているから。いつまでも季節外れのTシャツでなんだって出来るって飛び跳ねていてよ。小さな力かもしれないけれど、私だって君を終わらせないんだから。

だから、今日から始まる三十代も思いっきり生きてね。

お誕生日おめでとう。生まれてきてくれて、30年も生きてくれてありがとう。

またライブで逢える日まで。

2022年8月26日 choro