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あなたに見える星がわたしには見えない。

空に星がふたつと月がひとつ浮かんでた。星を辿るように、上を向いて歩いた。「私の住む街は星が見えない」と子どもの頃から思っていたんだけど、ある日お母さんに「星、見えるよ」と言われて驚いた日のことを今でもよく覚えている。目が悪い私と、目がいいお母さん。どうやら見えている景色が違うらしい。私の目には届かない星の光も、お母さんの目には届いているらしい。

羨ましくないか、と聞かれると、羨ましくない、とは胸張って答えられない。こんな都会でも星が見えるんだもん。きっとコンサート会場でも劇場でも、私が見ているよりもくっきりと細かい表情まで見えてるんだと思う。そりゃ、羨ましい。
けれど、私の目にも届くくらい眩しく光る愛しい一番星があるから。見えすぎなくて、ちょうどいいと感じる日だってあるし。メガネを掛ければ、コンタクトを付ければ、限界はあるけれどそれなりに見えるし。これでいいの、と思っていた。

でもね。「目の良い宮近くんはもっともっと星が見えているんだろうか」「もっともっと綺麗に夜空が見えるんだろうか」と、ふと考えてしまって、「それは聞いてない、わたしも見たいよ」と零してしまいそうになった。いくらコンタクトを付けたって、宮近くんには届かないんだろうな。「お家でテレビばっかり見てないで、猫背で勉強ばっかりしてないで、窓の外の木を見な!!緑がいいって!!」と、子どもの頃の私に説教しにいきたくなった。

宮近くんの目にはどんな世界が映ってるんだろう。きっと、私の知らないこと、たくさん知ってるんだろうな。私の見たことない景色、たくさん見てきたんだろうな。私が感じたことない感情も、私が背負ったことのないものも、私が踏んだことないステップも、たくさんたくさん、持ってるんだろうな。
でも、私もね、宮近くんが持ってないもの、持ってると思う。たぶんだけど、お勉強は宮近くんより得意だと思う。レジ打ちも早いよ。「いらっしゃいませ~」「只今焼き立てです、いかがでしょうか~」も良い感じに響かせられる。(あまりに張り合えてなくて恥ずかしくなっちゃった。)
ちなみに、宮近くんとのお揃いは、控えめな肩幅と猫背。だから、毎日こんなにも宮近くんの肩幅にキャンキャン吠えてるんだと思う。Tシャツ一枚のときはとっても華奢に見える肩が、今日のYouTubeみたいに重ね着していると少し男らしく見える。宮近くんも、服を着て鏡の前に立って”見え方”気にしたりするのかなと思うと、急にキュンとした。

わたしと宮近くんのイメージソングの選曲に、あれもいいなこれもいいなと難航している。わたしと宮近くん。愛はあげたりもらったり。でもどっちも「自分は受け身だ」って思ってる。お互い、結構恥ずかしがり屋で、案外口下手同士な気がするけれど、ぐるぐる考えて考えて言葉にするところが、ちょっとだけ似ているかもしれない。似てないとこも沢山ある。分からないことも、知らないことも沢山ある。遠い存在だけど、いつもすぐ傍に感じる。あなたとなら、どんな世界にでも行ける気がする。そんな不思議な関係性。

宮近くんは、私の目にも届く一番星みたいだな。