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私の「ありたい姿」「願いと夢」は、どの場所、どのコミュニティーにいても同じ💕


保育業界での実践と思い

私は長年保育業界で働いてきた。
定年まで、いや定年延長してもその現場で働くのではないかと思っていた。

私の保育業界での最後の主な仕事の中心は労務管理。
とはいえ、働かせるための管理ではなく、働く保育者の待遇を少しでも良くするために、私が出来る労務管理をしてきた。

◎勤務表、体制表の作成
◎勤務希望の保障
◎休憩時間の確保
◎労働時間内に事務仕事をする時間の確保
◎労働時間内に各グループの会議を保証
◎残業しないための工夫
◎職員会議などでの残業代の保証
◎有給休暇を取るための工夫
◎学びの保証、研修時間の確保
◎産休、育休、介護休暇を勧める
などなど

もちろん、そのほかにも、会議や研修の設定、園のお便りや延長保育料金の算定、市への提出書類、監査書類の作成など、多岐にわたっていたけれど、私の中で一番重点を置いていたものだった。

制度的な制約もあり、完璧な保証や確保は出来なかったし、お給料のアップは私の担当外なので難しい面もあったけど、私なりに労働条件を出来るだけ良くするのは、働く保育者が働き続けるために必要なのはもちろん、それが子どもたちや保護者にプラスに働くと思ったから…。

そんな思いがあり、企画会議や理事会でも必要な主張もしてきた。

子どもへ投資することは、未来の社会の働き手を育てること。それも常に伝える努力をしてきた。

未来を創る子どもが大切にされる社会の実現を求めて・・。

世界ではそれが当たり前の考え方が主流だけれど、まだ日本の政策も、その考えを受けた現場でも大きな変化は起こりづらい。

それでも、私の出来ることで、私の願いや「ありたい姿」に近づける努力をしてきたつもりだ。

それは、関わる人達(子どもたち、保護者、保育者)の幸せを求める気持ちだ
それが私の幸せにも繋がると思っている。

まだ、道途上ではあったけれども、
お一人様の叔母の終活、実父の見送り、次の年、続けて義父母の見送り、その相続の手続きをするために、終活と出会い、
今度は家族のために、私の時間を使おうと退職を決め、今に至る。

終活・生き方に関する複雑な思い

家族の人生の最期や、それに関連してしなければならないことの実務処理は、時間と相談者(地域、自治体、士業の方々)とうまく連携すれば進められる。とにかく一つ一つやっていけばよい。
私は「終活」に関する様々なことに取り組んできた。
そのため、さまざまな終活に関する学びと実践を経験してきた。

「その経験を少しでも広めたい、家族だけではなく終活で大変な思いをしている人に情報提供をしたり、支えたい」という思いを持ちながらも、それを広げていこうと思うと沢山の壁にもぶち当たった。
それは、私だけでのことはなく、社会全体に「終活」が広まらない一要因かと思う。

なぜ「終活」がなかなか前に進まないのか、皆様も考えてみてほしい。

たとえば、以下のようなことがあるのではないか。

◎「終活」という言葉は知ってはいるけれど、「終活」に関する話を聞いても自分にはまだ関係がないと感じてしまう

◎実際に「終活」(家族の最期、遺産相続など)の場面に出くわさなければ、具体的には考えにくい

◎「終活」という言葉が「人生の最期」を意味するので前向きには考えたくない

◎「エンディングノート」は知っているが、用意しようと思わないし、買ってみても書こうと思うとイメージできず書けない

◎「エンディングノート」を書いたところで、最後は家族や身近な人に託すしかない

◎今の思いや考え方が最期まで変わらないとは言えないし、その願いが本当に素直な思いなのか、誰かに遠慮したものではないのか自分の本音がわからない

◎年齢を重ねて、自分で体が思うように動けなくなったり、自分の意思を持てなくなったときに、綺麗事でない自分になっていたらどうしたら良いのかと考えると進められない

◎未来を想像すると不安になってしまう

◎家族や身近な人との人間関係を体験することで、机上の理論ではない、感情的なものに大きく揺さぶられる

などなど。

これは全て私の思いでもあり、このように思うことを批判するつもりもない。

「終活」をやらなければならないことと捉えると「やりたくない、面倒だ」が優先してしまう。
やらなければならないことではなくて、やりたいことにシフトするのは、なかなか難しい。
大変さを伝えたり、しなければならないことを伝えるという問いかけや説得では人は動かない、ということに気がついた。

つまり、誰もが
「自分と向き合う」ことが苦しいのだ。

過去の自分、今の自分、これからの自分、そしてそんな自分が形成された大きな要因とも言える家族との関係、それらに向き合うのは辛い場合が多い。

「終活」は自分と向き合って「自分の最期」を決めること。

「終活」を広めたい、誰かの役にたちたい、と思っていた私自身が、現実のところ、未来は、いや、明日はどうなるかわからないという思いが沸くし、エンディングノートも書ききれない。

「未来をシミュレーションしましょう」と言われても、それこそ
「いまここ」を生きている私にとって、
「明日命が終わるかもしれない」
「突然の病に襲われるかもしれない」
と考えると、未来をイメージし、生き方を計画していくのは難しいと思う。

自分と向き合うこと

それでも、私たちは誰でも人生の最期があり、イメージが沸かなくても、考えることが面倒でも、もしかしたら考えることが辛い場合でも、

「終活のために何をしなければならないのか」ではなくて、
「人生の最期」まで、自分はどう生きたいのか、
自分の理想や夢や「ありたい姿」を考え続けることは大事だと思っている。

そう、自分と向き合うこと!

たとえ、「人生の最期」をイメージできなくても、
まずは、自分はこれから、まずは今、明日、一年後、そして将来、どんな人間になりたいかと考え、行動していく。

自分も含めた、みんなの幸せのために、今の自分も「まるごと肯定」して、その夢や願いに向かって、今、出来ることを積み重ねていく。
自分の生きる使命を感じながら、自分のために、家族のために、他者のために生きる道を選択できれば、幸せな人生ではないだろうか。

夢や願いは、少しずつ変わっていっても良い。
いや、成長することは、変わることだ。

一生最期の時まで学び続けたい。

それが私の「ありたい姿」であり「願い・夢」だ。

「ありたい姿」と「願いと夢」

今の私は、「ありたい姿」を思い描いている。
変わらない私の思いを自分の軸にしたいと思っている。

その場所が、保育の場面であろうと、終活の場面であろうと、ボランティアであろうと、家族との関係であろうと大切にしたい気持ちを自分の軸にしたい。

それは、どの場所にいても、どのコミュニティーにいても同じ!

それは、

「喜んで感謝して豊かに生きる素敵な人生」を生きること。

人は支えあって生きていくもの。
「本当の自立」とは依存先の数が多いこと。

自分の心と体を大切に、家族と、仲間と、地域と、繋がって、出来ることで支えあって、思いを伝えあって、素晴らしい人生を過ごしたい。
自分の生きる使命を感じながら、自分のために、家族のために、他者のために生きる道を選択できれば、今も、そして未来も、幸せな人生だと思う。

そのために学び続ける!
力が続く限り、動いていく!

生きていれば、意識せずとも人を傷つけてしまうこともある。
相手が悪気が無くても、傷つくこともある。
誰もが受け取るものが違うから・・。

何度も落ち込み、何度も立ち上がる。
そうすることで、成長するのだと思う。

自分の弱さも失敗も、その時は素直に思えなくても、
時がたち、

「ありがとう」
「とっても良い学びだった」

と言えたら(思えたら)本当の意味で手放せるのではないか。

辛い気持ちに蓋をするのではなく、時を信じて、見えない力にゆだねて、自分も相手も赦せたとき、きっと穏やかな気持ちになれると思う。

私の「今たどり着いた思い」だ。
理想と言われるかもしれない。
でも、理想を思い求めなければ、夢は実現しない。

そして、より良い自分になるために、考えていることが☟☟☟

私は、これからnoteに書き残したいことが沢山ある。

まずは、「シン・スタンダート」という本の読書感想文。
これは深い!
本当に深い!

この本から多くの「事実」を学べる。
是非、読んでほしいと思う。

そして、感想を語り合いたい☆彡
読書会をしたい(笑)

このnoteという場でも、「ありたい姿」の私でいたいと思う💕

これからの未来の日本のために。
未来の子どもたちのために💗

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