人生の最期に自分の気持ちを伝えれば良かった☆彡
おはようございます。
私が『虹色通り🌈』のお仲間に入ってから、二度目の当番日です\(^o^)/
まだまだ、投稿にあたって、ドキドキしていますが、お付き合いいただけたら嬉しく思います。
『虹色通り🌈』について、少しだけ紹介させてください。
お仲間のららみぃたんが、わかりやすくまとめてくださっているものをどうぞお読みください。
金曜日にそっと開店するお店、それが虹色通り。
今日も来ていただきありがとうございます。
🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈
第一回の記事では、
<前回の記事の有料部分を少しだけ公開します>
以前、私は義父について記事を書きました。
今日は☟の記事を前提に書いています。
さて、義父を思いながら書いていきます。
義父は昔の人でした。昭和6年生まれ。
時代が変わったとはいえ、義父の時代は、男尊女卑は沁みついていたし、父親は「一家の大黒柱」であり、威厳がありました。
実際、私は義父が近寄りがたく、怖い存在でもありました。
でも、義父の最期を見届けた私は、義父は、寂しがり屋で、不器用な人だった、と思っています。
本当は、愛したかったし、愛されたかったのではないか、と・・。
もっと早く、義父が生きている間に、義父の寂しさに気付き、義父に寄りそって、義父の思いを表現するお手伝いが出来たら良かったと思っています。
そんな義父を見ていて、私は人生の最期に大切にすることについて学び、今は「終活」の前に、「生き方」について広めたい、語り合いたいと思うようになったきっかけの一つでもあります。
私達が思うより、人間の心は複雑です。
大悪党と思われている人でも、愛する人のためには命を投げ出すこともある。
逆に、そもそも愛することがわからず、自分優先になってしまうこともある。
でも、「思いを表現すること」や「愛し方がわからない」のが、その人だけの責任でないとしたら・・。
それでも、「愛」を感じられなかった人に対して、「赦す」ということはなかなかできないことだし、簡単には乗り越えられないものがあることは、夫を見ていてもわかるのです。
「人生の最期」をどう迎えるのかは、まさにその人の生きてきた歴史と繋がっているから…。
どう家族や身近な人と関わってきたのか、関り合ってきたのか、が問われているから…。
それでも、その世代が生きてきた時代背景も考えないといけないと思うし、例えば、義父のことで言えば、義父が「思いを表現できない人」だったことを、義父の生い立ちから見てあげる必要があると私は思うのです。
ここから先は
¥ 300
サポートありがとうございます!感謝感激です💛