叔母が結んだ「生前契約」について。。
今まで数回、東京で一人暮らしをしている叔母(母の妹であり現在80歳)について記事にしてきました。
私が、「終活」を学ぼうと思ったきっかけの一つでもある、叔母の「生前契約」について、あらためて書きたいと思います。
何かの参考になれば幸せです。
前回の記事でも書きましたが、改めて叔母の紹介をします。
叔母は、定年まで「東京都の保育園」で「園長」を勤め上げ、退職をしました。
その後、10年間ほどは、世界中を飛び回り、仕事をしていてできなかった沢山の夢を実現して元気に暮らしていました。
ただ、その間にも「自分がもし病気になったり、死を迎える時に、何か準備をしなくてよいのか」との思いも浮かぶことがあったようです。
叔母なりに色々調べて、今契約をしているNPOに出逢い、「生前契約」を結びました。
でも、叔母が「生前契約」を結んだことは、兄弟姉妹である母や叔父にも話してこなかった・・。
きっと、反対される、そのような思いもあったのでしょう。
NPOを契約をするためには、「公正証書」が必要になり、合わせて、「遺言書」の「公正証書」も作成したようです。
ここで、「生前契約」について、簡単にお伝えしたいと思います。
分かりやすい記事があったので、興味のある方はこちらをご覧ください。
検索をすると、他にも沢山の情報があります。
「生前契約」とは、上記の記事でも書いてありますが
①生前事務委任業務
②任意後見業務
③死後事務委任業務
があります。
叔母は、今は①と③を結び、今後必要が来たら②「任意後見」を結ぶ、ということになっています。
「生前契約」を行っている機関は、NPO法人や社団法人などの法人組織、また一般の企業、など様々です。
そして、その契約の在り方もそれぞれに違いがあります。さらに、契約自体も、メリットデメリットもあります。
ただ、叔母の場合は、自分が「おひとり様」であることで、安心を求めて自分にとって一番信頼できると思ったNPOと契約を結んだのだと思います。
この契約を結んだ頃は、私の従妹が東京在住でした。
何かあるときは、NPOに頼りながらも、従妹に世話になることも想定していたのだと思います。
その後、母と叔母の兄弟である叔父が亡くなり、従妹も地元に帰り、東京で頼りになる存在が無くなりました。
NPOと契約を結んで安心をしていたけれども、そのころはやはり親族の支えも頭にはあったのでしょう。
また叔父が亡くなったことで、叔母の実家である場所も叔母にとって、少し距離を感じるようになったようです。
元々本籍は、叔父の住所だったのですが、本籍を東京に移したのもいろいろな思いからだったようです。
一番初めに契約をした時は、連絡先に東京在住の「従妹」を入れてありましたが、叔父の葬儀の時に少しもめ事もあり、その後「従妹」が叔父の妻(従妹にとっては母)のもとへ帰ったことで
「何かあっても誰にも連絡をしないでほしい」という契約に変更をしてしまったのです。
母とはいい関係でいたのですが、心配させたくないという気持ちがあったのでしょう。(順番からしたら7歳も離れているし、契約した頃は元気だったため、母のほうが先に亡くなると当時は思っていたのだと思います)
またお墓問題でも悩み、「収骨もしない」という契約に変えてしまいました。
また、もめ事が起こる前は、遺産も親族に分けるとしていましたが、それも全ていくつかの団体への贈与に変えてしまったようです。
(もちろん、遺産分割については、叔母の思いを尊重するのは当然のことですが、それがもめ事のために親族との関係を断つ、という考え方からのものだったので心配でした)
契約が完了したのち、一回目の緊急入院となります。
その際大変だったことは、以前の記事に書きました。
でも、入院をしたことにより、NPOと契約をしていた事実を、母も私も知ることになります。
まだ若かった母は、叔母の入院中に何度もお見舞いに行き、退院してからも長い間、共に暮らしてきました。
私もたびたび訪問し、NPOとの契約のこと、遺産分割のことなど色々話し合いました。それは親族がもらいたいという気持ちではなく、叔母の心の氷を溶かしたいと思ったからです。(内容は下記に書いています)
一回目の入院の後も、いくつか契約の変更、また「公正証書」の変更を行いましたが、遺産分割については、気持ちが変わることがありませんでした。
そして、親族との関係だけではなく、友達や付き合っている方々との関係も断っていくようになります。
その関係で、携帯の解約をしてしまい、人との関係を取れないようにしていきました。
実は、一回目の入院の際、「高次機能障害」と診断され、「被害妄想」のような症状もあったため、病気から起こることだったのかもしれません。
訪問介護が入っても、「カーテンを破いた」「掃除の仕方が雑」「人が来ると神経が疲れる」と言い、「デイサービス」を薦めても、「人と交わりたくない」と言います。
昔の叔母とは違う性格にもなっていきました。
特に過去の人間関係の恨みを語ることも増えました。
誤解や被害妄想もあるような気もします。
その後、私達も上京したり、叔母は私が誘うと、私たちのもとへ遊びに来るようになりました。
会うたびに、症状が進行しているなと思うこともあり(身体機能や感情など)、常に今後のことを話し合いました。
私が後見人になり、群馬の地で「サ高住」に入る提案も初めは前向きでした。そのため、私は近くの「サ高住」にいくつか「申し込み」を行ったのですが、順番が来ると「やっぱりまだ東京にいたい」を繰り返すため、当面叔母の思いの通りに東京で暮らすことを決め、前回のNPOとの話し合いになったのです。
話し合いをして、「収骨しない」を「収骨する」に変え、「収骨場所」も決めることができ、私にとってお墓については一番寂しい契約だったため、それだけでも変えておけたのは良かったと思います。
今回はNPOとの話し合い、ALSOKとの契約変更などの手続きができたため、迅速に安全に入院することができました。
とはいえ、今はまだ状態もどのようになるのかわかりませんし、今後退院できた場合も、一人で暮らせるのか、暮らせないとしたら、どんな対応が必要なのか、どちらにしても、サポートが必要になるでしょう。
基本は、叔母が契約をしているNPOにお世話になりますが、今後、どのくらい症状が改善され、今後の話し合いに叔母の意思を尊重できるのか、そのうえで「最善の方法」についての私たちの提案を受け入れる機能が残っているのか、さらに叔母の希望である、最後までサポートを受けながら、一人暮らしが出来るのか、今は未知数です。
また時が来て、一人暮らしを止める際には、「マンションの売買」「施設入所の決定」(多分有料になると思います)など「遺産の使い方」も変更になり、「公正証書」の書き換えも必要になります。
NPOとは、「公正証書」の書き換えをする際には、私の承認をとることになっているので、叔母が一番幸せで平和な道を選択出来たらと思っています。
今回も読んでいただき
ありがとうございました<m(__)m>
「書いた人】
江村恵子@夢応援・ゆるふわ雑談会です。
「恵子さん」と呼んでください。
⭐つなぎびと⭐ 元保育士/
1種幼稚園教諭/終活アドバイザー/
終活ライフケアプランナー/
身上監護アドバイザー/終活ガイド上級 ☆/
心理カウンセラー勉強中☆彡
好きなもの・好きなこと💓/
家族、旅行、自然、家庭菜園、空、新緑、花、
読書、俳句、おしゃべり、カーブス
尊敬する人/マザーテレサ
リアルでは
「終活アドバイザー群馬サークル」
代表。
オンラインでは、元保育者として、
母として、終活ワーカーとして
「素敵に生きる人生について」について
発信をしながら、
「ゆるふわ雑談会」を開催中。
また、仲間と立ち上げた「夢☆相談室」の室長もしています。
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