【自己紹介②】音楽を仕事に

新卒で入社した会社を2年で辞めた。

心も身体も疲れていて、とにかくここから逃げたい、辞めた直後はそんな思いでいっぱいだった。こじんまりとして気に入っていた最寄り駅も、初めて自分で家賃を払って住んでいた部屋も、何もかもが嫌になってしまった。

当時家の近くにお寺があって、桜がとっても綺麗で、いつかお詣りに行こうと思っていたのに、2年間、1度も行けなかったなあ。情けなくて、余裕もなくて、逃げるように地元静岡へ帰る選択をした。両親は、特に何も言わなかった。5年以上、実家でニートを貫いていた兄のお陰か。

実家に帰ってから、就職活動的なことをしていたが、どうしても「社会人ツライ」が抜けなくて、好きなことを仕事に出来たらなーとぼんやりしている時に、スーパーニートを極めていた兄が急に、堀江貴文氏の【ゼロ】という本を差し出してきた。「普通」を極めようとしていた妹が、普通を脱線したことを気にかけてくれたのだろうか…?

兄とは特に仲が良い訳ではなかったが、本を読む習慣がまっっったくなかったわたしが、この【ゼロ】という名著によって人生を大きく左右される。今まで、自分の全ての物差しであり、価値を決めるものであった「普通である」ということを、堀江貴文氏は、くだらない、と言った。

「く…くだらない……だと!?」

強烈な先人の言葉に、過去の自分がものすごい拒否反応を示すかと思ったが、自分でもびっくりしたのが、「やっぱりね」という安心感に包まれたこと。

価値観が崩壊したというより、ずっとずっと心の中の自分が感じないようにしてきた違和感や感情に、存在を認め、居場所を与える許可を出せた瞬間だった。

大学時代に軽音楽部でバンドをやっており、元々蓋をしまくっていた「音楽を仕事にしたい」という感情が溢れて止められなくなってしまい笑、誰にも相談せず、研修生を募集していたライブバーに震えながら電話をかけた。今でも鮮明に覚えているのが、何の御利益を求めていたのか、ホリエモンのゼロを抱き締めながら電話をしたことだ。笑

それからライブバーで研修生として働き始め、ホールや照明もやりながら、毎日歌とダンスのレッスンと、たまにステージに立たせてもらったり、職場の人にもお客さんにも可愛がってもらって、順調に見えたやりたいことでお金をもらえる毎日。

しかし、心の中でどんどん大きくなっていく違和感を、どうしても見ないふりが出来なくなっていった。

やりたいこととは言え、お店の定休日は週1日。つまり休日も週1日。開店前にレッスンをさせてもらっていたので、拘束時間は前会社と同等以上。手取り10万ちょっとの中から衣装代やレッスン代を捻出し、研修生兼従業員という立場で、発言権は全くなかった。そして、人間関係。歴史のあるライブバーだったので、良くも悪くも昔の風潮があり、先輩に逆らってはいけなかった。

店の頂点であるバンドマスターは40代後半で金髪アル中気味だったけど、尊敬していたし優しくて、何よりテキトーで結構好きだった。歌はこの人に教えてもらっていたが、レッスンに時間通りに来たことは1度もない。ライブが始まる時間にも来なくて、メインボーカル不在でライブが始まるという日もあった。まあ、ファンキーなオヤジだ。(尊敬の念を込めて)

社会人経験があったお陰か、店のオーナーや店長にも使える奴と思ってもらえて、プライベートでもスノボとか色々誘ってくれて可愛いがってもらった。が、同じ年くらいで先にメインバンドのメンバーだった奴らととにかく馬が合わなかった。日本語が通じない、常識がない、メンヘラ全開みたいな人たちだったけど、歌と演奏技術があれば認められる狭い業界で、理不尽に抗う術がわからなかった。

そんな人たちとほぼ毎日顔を合わせ、機嫌を伺い、へらへらアホな振りして腰を低くして、10万ちょっと給金をもらう。あれ?好きなことだったはずなのに、結局何も変わってない。また社会の金太郎アメになってる。また大きな何かに支配されてるような気がする。なんのために転職したのか。やっぱりわたしは社会不適合なのかも…。

暇さえあったら新曲の練習、ボイトレ、ダンスレッスン、、、、ゼロを読んでから大好きだったホリエモンチャンネルをみることも、新しい本を読むことも、この頃はもうしなくなっていた。


記事を読んで頂きありがとうございます!今では、ビジネスパートナーたちにジャイアンと呼ばれているわたしですが、こんな時代もありました😂😂③へ続きます!!



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