失敗を、ふりかえる。(ブログの補足)
少し前に、自身のブログに「失敗を、ふりかえる」というタイトルで記事を書きました。
普段からたくさんの方に読んでいただいているわけではないマイナーブログですが、他の記事と比べると、クリックしてくださった方が多かったのですよね。
ひとえに、タイトルの勝利、と言いますか…
成功について書かれるものは多いけれど、失敗にふれるものはめずらしいのかもしれません。
書き手、私自身の失敗にまつわることなので、これをオープンにする、というのは、それなりに勇気のいることでした。
ある程度経験を積んだプロとしては、しかも、研修などで人材育成に関わる立場の者としては、今後のお仕事のためにも、カッコつけていたいじゃないですか…。
自分の失敗をサカナにして記事を書いて、改めて後から思ったことは、
「隠したいと思う失敗こそ、その人にとっての金鉱である」
ということ。
失敗にはいろいろあって、オープンに笑って話せるものもあるんですよね。
それは人によって異なるのでしょうが、
私の場合でいうと、たとえば、
・忘れものをする
・参加者に気をつけて、と言いながら、自分が転ぶ
・道に迷う
・タイムオーバー
・しゃべりすぎる
・参加者に間違いを指摘される
・喉を痛めて、当日声が出なくなる
・準備したプログラムがスベる
・雨天時用のプログラムの準備をサボる ・・・等々。
恥ずかしいと言えば恥ずかしいし、悔しくもあるのですが、今や、上記のような失敗は、やっちゃたなーと思いつつも受け入れられるし、冷静に話せてしまいます。
私の場合、できれば隠し通したいと思うことの一つは、今回のブログに書いたような
「参加者をちゃんとみていなかった、ちゃんと関わっていなかった」
という事実。
本当に、恥ずかしい。
本当に、情けない。
自分でも認めたくないし、
誰にも気づかれなくないし、
ましてや、誰にも指摘されたくない。
受け入れたら、自分をダメだと認めるようなものだから、目を逸らしていたい…
そう思うのは、
それだけ、自分にとって、「目の前の人をみる、関わる、集中する」
ということが、なによりも大切にしたい価値、だから。
失敗に気づいて、受け入れて、学びを得て、次につなげる…ということが大切だと分かっていても、「できない自分」を受け入れるには、タイミングも準備も必要です。
つい、無意識に論点をずらして、ごまかしちゃうこと、ありませんか?
自分にとって大切だからこそ、受け入れ難いこともあるんですよね。
でも、もし、
そこに光を当て、気づいて、受け入れることができたとしたら、
そこは、その人にとっての“金鉱”。
掘り起こしがいのある、伸びしろのある、魅力的な宝物が眠っているかもしれない“金鉱”!
無意識の誤魔化し、という形であらわれる、この“金鉱”は、
本人は一所懸命隠しているつもりでも、外側からみていると、案外バレバレだったりします。
でも、とても大切で、繊細な部分だから、他人に指摘されたからって受け入れられるものじゃない。信頼のおける関係の中でこそ、受容や気づきが促進されていくものです。
フィードバックしあえて、学びと成長を見守りあえる他者は、インタープリターはもちろん、人と関わる役割を担う方々にとって、かけがえのない存在なのだと思います。
同僚、先輩、コーチ、パートナー、仲間…
そんな誰かと私も共にありたいと思うし、誰かにとっての信頼できる存在に、私もなりたいなと願っています。
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