共感と保身と傲慢

私は人に興味がある。
私とは違う人間ーーそれは全ての人達だが、彼ら彼女らがどんな信念を持ち、どんな心情で間違いを犯し、どんな贖罪を望んでいるのか。
何を愛するのか。何をどう愛するのか。何も愛さないのか。愛とは何なのか。
全てに疑問がある。
人間への知的好奇心は尽きない。

私はよく人の話に共感するが、例えば正反対の2人の人間の話にも、どちらにも共感してしまう。だってどちらにも理由があり、理解できるから。
でも、それは八方美人の保身でもあるし、自分がさも上手い聞き手であるかのように振る舞う傲慢さでもある。悪癖だ。

酒の席で偶然知り合った女性にさえ、遠くから幸福を祈ってしまう。

誰も彼も愛していては、身が保たないのは分かっている。けれども、出会った人には幸せでいて欲しくなってしまうのだ。
私を傷つけた人間にも、いつかその罪の意味を知り、一つ新たな地平を拓く事が出来ていれば良いな、と思う。

苦手な人は沢山いる。
けれど彼らにも興味がある。
なぜ私は彼らが苦手なのか、彼らは何を思ってそう行動しているのか、どうしても気になって、解き明かしたくなってしまう。

聞くことに徹しなさい。

私がすべき事はそれだわ。
全てを見て、全てを聞いて、人間を見つめて、業を見つめて、そうして書くのだ。表現や研究に生かすのである。

なんて傲慢な考えだろう。
けれども、本当に私は、貴方達を知りたいのだ。

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