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スパンコールの女は憂鬱

 「姉さん、ここシガーバーなんですよ……。」
私の目はカウンターの女性にくぎ付けになっていた。赤いドレスに身を包み、豊かな黒髪、スパンコールのハイヒール。肩には狼の刺青。みなが思い思いの煙草や葉巻を燻らせる中、彼女は棒付きキャンディをからころ言わせながら気だるげにシャンパンを煽っていた。
「禁煙中なの。」
「ならほかの店行きましょうよ……てか、本来持ち込みの飲食は…あ……そういうことする……。」
挑発的な目といたずらっぽい笑みで、女がキャンディーをシャンパングラスに突っ込む。
「これが美味しいの。」
「オーナーと仲いいからってくつろぎ過ぎですって。まあ、姉さんいると高いボトル下りるんで良いんですけどね。」
途端、片手をひらひらと振って大仰な溜息。
「だからもうそれ辞めたいの。私がイイ女なのは知ってるけどね、私の周りだけ好景気になるのなんでなの?自分の酒代くらい、私持ってるわ。」
ツンと跳ね上げたアイラインと眉とは対照的に、大きなたれ目、すっと筋の通った鼻、華奢な輪郭、感情を余すところなく露にするワインレッドの唇。
「男はいつの時代もイイ女に奢りたいんじゃないすかね、自分若いんで分かりませんけど。」
「君は私になびかないよね、そういうところ好きよ。」
「姉さんのそういうところがダメなんじゃないすかね。」
あれだけのオーラがある美人に全く物怖じしない若いバーテンダーに感心しながら、私は見惚れて落としそうになっていた灰をすんでのところで灰皿の上へ。
「もううんざりなの。友達の彼氏はみんな私に惚れるし、道を歩けば視線がうるさいし、恋人は私を縛りたがる。私は自由を愛しているの、なのに男が私を自由にしない、どこに行ってもまとわりつく。私が魅力的なのは私のせいじゃないでしょう?そもそもそんなもの欲しがった記憶なんて無いわ。勝手に値踏みして勝手に高い値札つけて持て囃すの、やめてほしいのよね。」
鼻にかけることなくあっけらかんと言う様子はどこまでも魅力的で、『痴人の愛』のナオミのようだ。ああ、申し訳ない、私も君に見惚れてしまう馬鹿な男の一人だよ、そう心の中で苦笑しながら、なおも聞き耳を立てるのを止められない。
「だいたい根性が無いのよね、そのくせ図々しい。‟今夜だけ”?そう言ったかと思えば‟今日だけにしないで”?男を弄んで、って何度言われたか分からないけれど、勝手に狂っていくの、貴方たちじゃない。ねえ君、ファムファタールは自分がそうだと思って生きていると思う?男が勝手に女を聖女や悪女にするのよ。私は生きているだけだわ。」
くいっとシャンパンを飲み干すと、キャンディがからんと鳴った。小さなバッグからpeaceを出すと、武骨なジッポライターで火をつけて、世界の全てを手玉に取るような眼でふうっと煙を吐き出す。
「……禁煙中じゃないんすか。」
「ここはシガーバーなんでしょ。」
バーテンは苦笑しながら灰皿を彼女の前へ。
 一本たっぷり味わうと、彼女は勘定を済ませて、ヒールとコツコツ鳴らしながら、スポットライトを浴びる女優のように店内を横切った。
 私の傍を通る。つい緊張してしまう。

 彼女が立ち止まった。私の目の前で。私はその時初めて彼女にくぎ付けになっていることに気づいた。目が合う。逸らせない。
「ねえおじさん、話聞いてたでしょう?私に手を出すと、狼に噛まれるわよ。」
刺青の入った右肩を見せながら、夜空のように深く黒い瞳で私を撃ち抜いた――そうして去っていく足音。振り返れない。

 「すいませんねえ。あの人常連で。」
バーテンが灰皿の交換に来た。
「い、いや、私が失礼を。」
整った顔立ちの、はらりと落とした前髪のにくい、若いバーテンが話す。
「……俺じゃ無理なんすよねえ。」
彼の一言と、自分の未だ治まらない高鳴る鼓動で、彼女の憂鬱が本物であることを悟った。

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