路傍の活動写真

 ああ、あの立て看板に誘われたのは、果たして私の意志か、もしくはもう一人の私が導いたからなのか、それは本当に「私」なのか?考える私の頬に、冷たい土が落ちた。仰向けで土の底、天高く弧を描く鳶、残酷すぎる対比に、もはや口角が上がる。
 土に続いて落ちてきた雫が、父の汗か涙か、私に判るときは来ない。
 
 草履を忘れた。いや、取りに行く余裕がなかった。裸足で駆け出した街、豆腐売りが怪訝な視線を向けてくる。あなたに私はなにかした?きっ、と視線を向けると、気まずそうに目を逸らした。道行く人々の顔は歪み、全て私を殺しにかかっているように見える。むせかえるような暑さは、私の手足を掴もうとする無数の手。疎ましい、汚らわしい、あの日の記憶がよみがえる。私が殺された日、首を絞める手、破られる着物、脱げた草履、あの焼きごてを押し付けられたかのような熱さ、痛み、ああ疎ましい、汚らわしい、あんな獣どもに、私の全てを明け渡してたまるか。たとえ体が殺されても、この魂までは渡さない。
 ふと、立て看板が目に入る。活動写真『嘆きの少女』。その題目に苛立って、かえって興味深くなり、私は小さな劇場へ潜り込んだ。
 髭をたたえた初老の男性、島田髷が少し崩れた年増、天ぷらか本物か、学生帽を脱いだ青年、闇に浮かぶ異世界を真っ直ぐ見る、頭、頭、頭。誰も私に気づかない。なんて自由、私が欲しかったもの。浮遊感に身を任せ、光の中を見ると、――ぞくり、背筋に走る氷のような冷たさ。私に瓜二つの顔が、必死の形相に歪んでいる。
活弁士が語る。「……すわ狼藉者か、夕闇の少女は走れども、その足、男には及ばず、転がされ押さえつけられ……」。あれは私ではないか。「……もがく手は宙をかくのみ、〝いや〟の二文字さえ声にはならず……」。初老の男はなぜ笑う。「……ついに散った花、父親は哀れみから……」いいや私ではない、あり得ない、あれは私じゃない。
「いいえ、あなたの物語です。」活弁士の声が響いた。違う、私じゃない。
「これは、あなた様の物語、あなたが死んだ日、あなたの終わり。」いいや、私は終わらせない。
ぬめりとまとわりつくような視線、活弁士は私を見ている?色の抜け落ちた顔、瞬きひとつせず、口だけを動かして、音声を発する、まるで機械人形。指先さえ動かせない。声に縛られ、記憶に縛られ、男に縛られ、この世に縛られ、――なんとか一歩、後ずさった。活弁士は言う。「さてさて少女の結末は……」。早くここを出なければ、画面の少女――「私」は真っ暗な瞳で私を射抜く。早くあの目から逃れなければ。
転がるように劇場を出ると、男が立っていた。父親であった。私の手を乱暴に掴むと、そのまま家へと引きずっていった。
私はじっと、土煙のする地面を見ていた。
 
「あすこのお嬢さん――」「嫁入り前になあ――」「そういや近頃見かけない――」
「「「田舎にでも行ったのだろう、あんなことがあってはなあ。」」」
 
潰れた片目に土が落ちる。折れた足はもう埋まった。感覚の消えた手、いまはどこ?もう土の中?夕暮れ時を一人歩いた、それがいけなかった?私はそれほどのことをした?お父様、なぜ私を厭うの?憎むべきは、あの男どもではないの?
――私は、なぜ。
 
長野のいずこか、無花果の木がある。その下に昔、汚れたと見なされ実の父親に殺された少女が埋まっていること、それを知っているのは、貴方だけだ。
 
 「ねえ、私を覚えていることくらい、してくれる?」
 

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