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「おねえちゃん」と呼ばれる寂しさと呪縛。

私がずっと抱え続けていた責任感や寂しさの出処が昨日やっとわかった。

この気づきはとても重要で、とても大切で、腑に落ちた。


私には弟(以外A)がひとりいる。
弟が生まれた時から、いつの間にか私は『私』ではなく、【Aの姉】という存在になった。

どういうことかと言うと、
親から名前で呼ばれることが無くなった。 
(特に母、父はそもそも家族をお前と呼ぶ)

弟は「A」と呼ばれ、私は常に「おねえちゃん」だった。
弟にとって私は姉であるから、弟におねえちゃんと呼ばれることに嫌な気は今も感じない。
(今は名前で呼ばれるけど)

しかし、両親にとって私は娘だ。

母が「おねえちゃん」と私を呼ぶ度に、私は【Aの姉】という役割と責任感と、Aがいることで存在している人間である、ような感覚を無意識に感じてきたのだと思う。

私はAのおまけ。
私は個人として尊重されない。


それに加えて「おねえちゃんだから」という言葉を何度も浴び、私は私という個人の存在に対する無価値感を大きくしいてったのだと思う。


両親がどう思っているかは知らないし、今更知りたくもないけれど、私は『Aの姉』として愛されてはいたかもしれないけど、『私個人として』愛されていたとは思えない。

これが今まで言語化できなかった、私の寂しさ。  

だから私は、誰かにとって特別な存在になりたかった。

『私という存在』を認めて欲しかった。

これに気付いた昨夜。
心の奥底にガチっとはまっていた蓋が開いたような感覚になった。

おねえちゃんと呼ばれる度に寂しさを募らせていたことに気付けなかった子どもの私と、今の私がひとつになれたような感覚。

(ちなみに今、私は両親にとって【孫の母親】という存在になっているので、未だに名前で呼ばれていない笑。今さら名前で呼ばれても、だな)


私は両親に愛されたいのでなく、《私という存在》を認めて欲しかったのだと思う。Aの姉ではなく、孫の母親でもなく、私個人として。

だから、何かすごい人になりたいとか、人と違う何かをしたいとか、両親が私を認めざるを得ないような何かになろうとしてたのだと思う。

ずっと力んでいたんだな、と感じる。
両親に、誰かに『私』を認めてもらおうと。


【おねえちゃん】という呪縛。
本当の意味で解除できたような気がする。

脇役を強いられてきた過去に、さよならを。
私が私を主役にする今に、祝福を。

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