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京都あれこれ ふたつめ

「先生、探してましたんや」
「急ぎのご用事でしたか?」
「急ぎやおまへんのやけど、どうにも尻が落ち着きまへんのや」
「そうそう、ストレス溜まりっぱなしですわ」
「話しが全然見えないんですが」

「実はね、こうこうこういう話で、不思議やなあって話してましたんやけど、答えが分からんさかい、どうにも落ち着きまへんのや」
「今は手元に資料もありませんから、私が記憶している範囲で良ければ疑問解決のお手伝いは出来そうですよ」
「そうそう、それを待ってましたんや。宜しゅうお頼みしまっせ」

「それでは一つ目の疑問から」
「何で新京極というかですな」
「そうです。これは簡単なんです。西隣の寺町通は平安京の東京極大路ひがしきょうごくおおじとほぼ一致しているのですが、豊臣秀吉氏の京都大改造によって多くの寺院が東側に強制的に集められたのはご存じですよね?」
「ほんで寺町通っちゅう名前になったんでっしゃろ?」
「正解です。併用された名前に寺町京極というのがあります」
「そう言えばわてが小さい頃、寺町通やのうて寺町京極と言うてた覚えがありますわ」
「今でも四条通近くには寺町京極の大きな提灯が下がっていますよ」

証拠の提灯どすわ

「そんなんありましたんか? ぼーっと歩いてたらあきまへんなぁ」
「そやけど三条寺町のアーケードには『TERAMACHI』としか書かれてまへんで」
「そういうこともあるのでしょうね。ですが、ここまでくれば新京極通の由来はお分かりですよね」
「寺町京極の東に新しくできた道やさかいに新寺町京極?」
「それやと語呂が悪すぎるやろ」
「ほんではしょって新京極通か」
「基本は正解です。実は京極という言葉には都の端という意味があるのですが、都の東の端だった寺町京極の東に新しい通りができたということで新京極になったのですね。確か新京極通りのどこかに説明書きの立て札があったと思いますよ」
「そんなんがあるのやったら六角広場でっしゃろなぁ」
「後で見に行きましょか」
「それがいいです。ご自身で確認することは大事ですからね」

「ほな次の不思議へいきまひょか」
「三条通から新京極に入る坂には『たらたら坂』という名前がついています」
「名前までついてますのか」
「通称です。俗称ともいいますけれど、正式な名前ではありません」
「何であそこだけ坂になってますのや? 大きな穴でもおましたのか?」

結構な坂でっしゃろ?

「答えは三条通にあります」
「またどっかに書いてありますのか?」
「そうではありません。これも豊臣秀吉氏に関係してくるのですが、秀吉氏が三条大橋を改修する時に、寺町通から三条大橋まで、真っ直ぐな道を造るんです。今では俄に信じられないでしょうが、当時は寺町通より東は鴨川の河原だったんです」
「新京極は川の中でしたんか」
「桓武天皇が平安京を造られてから、鴨川は長い間暴れ川だったようですよ。平家が全盛を誇っていた頃の白河法皇が『鴨の水、双六の賽、山法師』は自分の意のままにならないと嘆かれていますからね」
「先生、ほんまのお歳はおいくつですの」
「ほんまによう知ってはるわ」
「元々河原だったところに明治になってから道を造ったのですから、土地が低くなっていて当然ですよね。その段差を坂道にして埋めたというのが答えになります」
「河原町も条件は一緒ですやんか。何であっちは真っすぐですのん」
「キチンとした文献は残っていないようですが、秀吉氏の京都大改造で河原町通も造られたといわれています。ですから三条通と同じ高さに造られているんですね」

なんか田舎っぽい風景やと思いまへんか?

「新京極だけ不憫ですなあ」
「これだけ賑わっていて、しかもたらたら坂は京の七不思議にも数えられているくらいですから不憫ということはないと思うのですが、もしも三条通より北にも新京極があったなら、三条通と同じ高さに造られていたかもしれませんね」
「これで疑問は解決ですなあ」
「ほんまや、あのままやったら今晩寝られへんかったわ」
「てんご、言うてはるわ」
「先生、おおきに」

「先生、ええとこで会うたわ、ちょっと助けてくんなはれ」
「これは女将さん、どうされました?」
「だんさん方もいてはりましたんか、そんなに暇やったらお店の仕事でも手伝うたらよろしやんか」
「こらあかんわ、女将には勝たれへん、早々に退散しまっさ」
「先生、そういうことですので失礼しまっさ、ほんまにおおきにどした」
「また何かあれば、お声掛けください。ではお気を付けて」
「へえ、お邪魔さんどした」
「さて、女将さん、どうされました?」
「それがねえ……」

つづく

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