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母が求める理想の娘。演じるのはいつまでですか?

物心ついた時から、小児喘息で入退院を繰り返していた。
両親が喧嘩をしていると、「私が喘息だからだ」と自分を責めていた。
だから、両親の前では、優等生でいなくてはいけなかった。

母親の理想の娘を一生懸命演じた。
明るくておしゃべりで天真爛漫。クラスの人気者。人見知りせず誰からも好かれる娘。

本当の私は、1人でいるのがスキで人の意見に笑顔で頷くタイプではない。できれば話もしたくない。母親は知らないだろう…

よく母親から「可愛くない」と言われる。甘え方だけは、演じることが出来ない。甘え方がわからないから。
少しでも、母親の理想の娘からハズレるといいたい放題。
私への不満をあちこちに言いふらしている。私にも…

よくもまぁ、道をそれることなく真面目に生きてきたもんだ。と我ながら
失笑してしまう。

私が甘え方を知らないのには、理由がある。
小学校1年生から、病院施設で親元を離れて集団生活をしていた。
小児喘息の子どもが治療しながら生活する施設。
朝起きたらグラウンドをランニング。その後、乾布摩擦をしてから朝食。
それが終わると養護学校に登校。
毎日、半袖半ズボンの体操服で。

1年生でも、ベットメイキング、着替え、学校の準備…
全部自分でした。親はいない。
誰も手伝ってはくれない。自分の事は自分でするしかない。
この時から、親にも他人にも頼ることを辞めた。

でも、病院施設は楽しかった。
家族でいるより楽しかった。
喘息の発作も出なかった。
ドクターからは、ママさん喘息と言われていた。子どもの私はわからなかったが、今ならわかる。

母親がストレス。

アレルギーなんだと。今は喘息の発作はでないけど、母親から電話やメールが来るたび息苦しくなる。

50歳を過ぎたのに、情けないよね。

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