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15年後の悪童、そして21年後の悪童へ。

時は西暦2000年、当時4歳だった私は暴虐の限りを尽くしていた。

幼稚園では誰よりも高い木に登り、誰よりも大きな声で泣いた。クラスで唯一ひらがなで自分の名前を書けなかった。ドイツ人の男の子すら書けていたのに。先生に最も迷惑をかけていたのは間違いなく私だった。

親に連れて行かれたピアノ教室でもその悪事は止まらなかった。初レッスンで「僕足でも弾けるよ」と鍵盤を足で弾こうとした。初めての発表会では正装が窮屈で泣いて眠った。観客は演奏ではなく幼い私の暴走に釘付けだった。

まさに世紀末最大の悪。私の悪名を知らぬ者は幼稚園とピアノ教室にはいなかった。

しかし世は因果応報。天に吐いた唾は自分に落ちるしブーメランは戻ってくる。4歳の私が行った悪事は自身に返ってくる。それも遠い未来で。

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時は流れ2015年、私は19歳になり札幌の大学に通っていた。正確には2回目の1年生として教養を深めていた。留年である。

ここで読者の皆様に誓って言うが決して遊んでいたわけではない。講義にはきちんと出席していたし進級に必要な単位は取れた。

当時私の大学は1年目の終わりに成績のいい生徒から順に2年目以降の学部を選べる制度を採用していた。私は希望学部に行くための成績が足りていなかった。

「このままだと一番人気のない物理学の学科に配属になりますよ」と学生課の方に言われた。私は大学受験はおろか高校から物理を学んでいない。そんな奴が大学の物理学科に入っていいのか?

それは嫌だと学生課に伝えると「ではもう1年教養の授業を取って成績を上げてもらうしかないですね」と言われた。かくして私は両親に頭を下げてもう1度1年生になった。

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クラスメイトは私の留年に驚いた。50人を超えるクラスで留年したのは私だけだった。サークル漬けで講義サボりまくりのアイツでも、先輩のレポートをコピペしたアイツでもなく私だけ。

その時よく言われたのは「クラーク像にでも登ったの?」というジョークだった。当時札幌の大学生の間では「クラーク像に登ると留年する」というジンクスがあった。留学生にも「Did you climb the Clark statue?」と言われた覚えがある。そのくらい有名なジンクスだった。

道外から来た私は引越してすぐクラーク像を見学した。「Boys, be ambitious.」というクラーク博士の言葉が聴こえた気さえした。もちろん登ってなどいない。何度も言うように私はある程度真面目だったしそんな度胸もなかった。

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大学生活の中で一番新しいことを始めたのはこの頃だ。人より1年多く与えられた時間を有効に使おうと思った。

まず科学解説のボランティア活動を始めた。私は動物担当として子供達にエゾシカの環境被害や、世界のクマの話をした。この活動は大学卒業直前まで続けた。

さらに大学の留学支援プログラムに参加した。英会話やプレゼンのレクチャー、語学試験の受験料補助等を受けた後、私は夏休みに語学留学することにした。

そこで私は現地の動物園に通い詰めた。語学学校には夏休みを利用して来た日本人学生が固まっていた。私はその雰囲気がどうにも苦手だった。私は学校が終わるとすぐに動物園のゲートをくぐった。

あまりの頻度で通うため受付の女性に「I remember you(あなたを覚えてるわ)」とからかわれるほどだった。園内のスタッフたちも怪しい英語を話す東洋人の質問に丁寧に答えてくれた。とにかく素晴らしい空間だった。

後に私はもう一度留学、さらに国際学会に参加することになる。きっかけは間違いなくこの留学だ。さらに言えば留学のきっかけこそ留年に他ならない。

もし留年してなければまた違った大学生活を過ごしただろう。だが「あの失敗があったから」こそ素晴らしい経験を積めたと今は思っている。

ちなみに帰国後は無事に希望の学部に進級することができた。

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時はさらに流れ2021年3月、私はなんとか大学を卒業した。留年したわけではなく大学院にも通わせてもらったのだ。

私は実家の片付けを手伝いながら新生活の準備をしていた。久々に両親と過ごすのは楽しかったし、地元の変化も興味深かった。

すると母が昔のアルバムを出して写真を見せてきた。それは私の悪行の写真集だった。遊具や木はおろか、お寺の石垣にまで容赦なく登る姿は無頼派のクライマーを彷彿とさせた。

ピアノ発表会に嫌そうに参加している写真も出てきた。私はこの後10年間ピアノを習い続けることになるが写真からは想像できない。

しばらく読み進めると1枚の写真を見つけた。その写真は2000年に北海道旅行で撮影されたものだった。私は仰天した。

登ってる!!

4歳の私はクラーク像に登っていた。

クラーク像に登ると留年するジンクスは本物だったのだ。しかも15年経っても効力を発揮するとは。

入学直後の見学で聴こえた「Boys, be ambitious」は「Boy, I remember you.(少年よ、おまえを覚えてるぞ)」の聞き間違いだったのか?私はクラーク博士の執念に戦慄した。

私が留年をきっかけに多くの経験を積むことは15年前の悪事によって既に決定していたのかもしれない。

私はスピリチュアルなものをあまり信じる人間ではないがこの時ばかりは「因果」や「業(カルマ)」を信じずにはいられなかった。

人は過去の悪事や失敗からは逃れられない。だがそれが常に悪いことのきっかけとは限らない。そう思うことにした。

これを読んでる方の中に札幌の大学生、または道内の大学進学を検討している方がいたらどうか覚えておいてほしい。

クラーク博士は根に持つタイプだ。
気をつけて。

(おわり)

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