優秀賞「恩智川の大山椒魚」 旭堂南湖

 明治生まれの祖母に聞いた話。
 その昔、恩智川に大山椒魚がいたそうだ。現在、川は濁っており、清流を好む大山椒魚が生息していたとは、全く考えられない。祖母曰く、昔はぎょうさんいたらしい。そして、旨かったそうだ。
 この川沿いに住んでいたのが田端のおっちゃん。五十過ぎの独り者。職業不詳。話が面白く、四六時中、酒を飲んでいる。祖母は子供時代によく遊んでもらったという。おっちゃんの眉間には卍形の傷があり、若い頃、大猪と格闘してできた傷と自慢している。その話を両親にすると、
「酒に酔って、どっかにぶつけたに決まっとる」
 と答えた。
 ある大雨の日、田端のおっちゃんが消えた。大勢であちこち探したが見つからない。恩智川に流されたのか。警察に行方不明者の届けを出した。
 届けを出して数日後、祖母は恩智川で大山椒魚を見つけた。これまで見つけた中で一番大きい。人間程の大きさだ。つぶらな瞳、大きな口、額には卍形の模様があった。どことなく田端のおっちゃんに似ていた。
「なあ、田端のおっちゃんやろ」
 声をかけたが返事はない。この大山椒魚を両親に見せると、
「卍の形も少し違うし、顔も似てないで」
 という。そこで大山椒魚に酒を振りかけてみた。大山椒魚はゆっくり体を動かした。喜んでいるのか嫌がっているのかわからない。両親が、
「旨そうやな」
 と言うので、捌いて鍋にした。格別の美味しさだ。
 それから三ヶ月程して、田端のおっちゃんが家に帰ってきた。靴も履かず、ほとんど裸に近い格好。言葉を忘れてしまったようで、ヌメヌメする舌を出して、
「ルヌヌ、ルヌヌ」
 と呟くだけだった。祖母が、
「食べてごめんなさい」
 と謝ると、思いっきり殴られた。
 その後、おっちゃんは再び姿を消して、二度と帰ってくることはなかったそうだ。それから恩智川では大山椒魚を見なくなったという。

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