もう一つの学園生活

大学卒業を控え、社会人になることへの不安が加速している。不安と言っても食欲が微妙に落ちたり、寝付きが微妙に悪くなったりする程度で特に実害はなかったのだが、先日遂に幼稚園から高校までの卒業アルバムを全て見返すという奇行に走ってしまった。しかし、卒業アルバムを見返したところで自身の暗い学生時代が思い返されるだけなので「教室にすら馴染めなかった私が会社員なんて…」と余計に不安が募ってしまった。ありがたいことにこんな私にも友人の数人はいるのだが、大学院に進んだり医薬系(六年制)に在籍していたりで就職する人が見当たらない。私だけが学生ではなくなるのか…と寂しく思った刹那、私は思い出した。私には「乙女学園」があるじゃないか!

乙女学園とは、小学生の頃に私が設立した架空の学園である。初等部から高等部までの一貫校で、普通科と魔法科に分かれている女子校だ。校舎や制服は作りようがないので脳内補完していたのだが、時間割や学生手帳を作ったり、クラスメイト(自演)と遊んだり喧嘩したりして楽しい学園生活を送っていた。

ちなみにこの遊びのいいところは、終わりがないことである。自宅のリビングは食堂、庭は園庭、両親は寮父と寮母に変身し、いつもの小学校は乙女学園初等部へと姿を変える。苦手な同級生もキャラクターと思えば気にならず、授業で当てられたくない時はオリジナルの魔法を使い、成功すれば嬉しいし、失敗すれば修行が足りないのだと考える。嫌なことがあっても、乙女学園の校則「いついかなる時も乙女であれ」を唱えれば涙も止まる。学校生活を上手くこなせない私にとって、乙女学園は心の拠り所だったのだ。

乙女学園は長らく休校状態だった。しかし今こそ、私は乙女学園に復学すべきではないか。既に乙女学園設立から十年以上経過しており、時間割や授業内容の資料や記憶は殆ど残されていないが、出来る。何故なら「乙女に必要なのは、信じる心」なのだから(私がかろうじて覚えている乙女学園校訓)。きっとクラスメイトのふすまおしいれちゃん (髪型がおしゃれな子。席替えで隣同士になったのをきっかけに仲良くなった。ポニョを三匹買っている)も私のことを歓迎してくれるだろう。

しかし、と思った。あれだけ華やかで楽しかった乙女学園での生活を、どうして私は手放してしまっていたのだろう。乙女学園に居続けていたら、中高生時代をもう少し気楽に過ごせていたのではないだろうか。

きっと、私は普通になりたかったのだ。これまで私は乙女学園のことを誰かに話したことがなかった。同じことをしている人に出会ったことがなかったからだ。十代をターゲットにした雑誌や番組で、ファッションやスポーツが特集されることはあっても、架空の学園や自作の物語が取り上げられることはない。普通はそんなことしないからだ。当時の私にとって、学校は世界そのものだった。私は世界から孤立することに耐えられなくなって、乙女学園を休学したのだった。同級生が話題にするコンテンツに必死に食らいついて過ごした中高生時代は、さらさらと水のように流れ落ちていった。

大学生になり、様々なバックグラウンドを持つ学生や教授と時間を過ごした私は、世界は果てしなく広い場所だと考えるようになった。世の中には色々な人がいるということをほんの少しだけ知った私は、一人一人に「普通」が存在するのだと思うようになった。それと同時に、他者の「普通」を受け入れること、自身の「普通」が受け入れられることも学んだ。現代社会はあの頃の学校ほど排他的ではなく、集団性が求められることもない。だから、乙女学園は必要なくなったのだ。乙女学園は役目を終えたのだ。乙女学園の閉校式をしなければならない。乙女学園の跡地には、これから社会人として生きてゆく私の経験や感情が蓄積されるのだろう。私がずっと目を背けていた、現実世界の鮮やかな景色が。