ヤクルト1000を飲んで見た夢

長らく品薄状態が続いていたヤクルト1000だが、最近は近所のスーパーで安定して見かけるようになった。10本パックもあふれんばかりに売り出されており、ちょうどポイントも貯まっていたので買ってみることにした。いつも世間から周回遅れで流行り物に手を出している気がする。

ヤクルト1000を飲んだその夜、酷く変な夢を見た。私の周りは「夢に色彩がない」とか「図形が浮かんでいるだけ」とか「そもそも夢を見ない」という人が多いのだが、私は逆だ。色彩や五感が現実と同じようにあり、風が吹いたりお腹が空いたり悩みを抱えたりもする。目が覚めてからしばらく経っても現実か夢か判断がつかず、夢に出てきた友人に「ねえ、あなたと〇〇駅のドトールで××の話をしたのって現実だっけ?」と聞く始末である(大抵の場合「夢だね」と返されるのだが)。

今回の舞台は、照明が暗めの中華料理店だった。中華料理店なのに内装は喫茶店や探偵事務所(行ったことないけど)を思わせる昭和レトロなデザインで、焦茶色を基調としたシックな雰囲気だった。店内は10部屋ほどに分かれており、一部屋に五、六卓のテーブルと椅子が乱雑に並べられていた。客はその乱雑な机に合わせるようにして椅子に座っており、壁に肘が当たっていたり隣の人と脚が重なっていたりするのに、下を向いてもくもくと料理を口に運んでいる。部屋の中はじめじめしていて、埃っぽい。エビチリの匂いがするのに、誰もエビチリを食べていなかった。部屋の隅に巨大な海老の剥製があって、小さすぎる椅子に座っていた。埃が積もっていて、赤いはずのからだが灰色にまみれていた。

しばらくして支配人らしき男がやってきて、私は隣の部屋に案内された。移動するために廊下に出たのだが、廊下にも机や椅子がめちゃくちゃに積まれている。支配人は身体が透き通っているので問題なく歩けるのだが、私は実体があるので土足でテーブルや椅子や踏んで進むしかなかった(もちろん現実ではそんなことしないが、夢の中の私はとんでもない行動を起こすことが多い)。

隣の部屋も同じような雰囲気だったが、客が全員白髪のお婆さんだった。皆同じタイミングでスプーンを持ち上げ、顔が入りそうなほど大きな器に入った杏仁豆腐をひたすら口に運んでいる。夢の中の私は「あんなにおいしい杏仁豆腐が大量にあるのに孤独なのか」と衝撃を受けた。夢の中の私が、一体いつ杏仁豆腐がおいしいことやお婆さんが孤独であることを知ったのかはわからないが、とにかくショックを受けた私は部屋を飛び出した。支配人は分身してついてきた。

しばらく廊下を走った先にあった部屋は、L字になっていてかなり広かった。どのテーブルも家族連れが座っており、休みなく手や口が動いているのに、全く料理が減っていない。どうやらこの部屋の客は、永遠に食事を続けなければいけないらしかった。(肉や魚を切り分けて咀嚼しているのに何故減らないのかがわからないが、夢の中の私はその理屈を瞬時に理解しているようだった)。同じ料理、同じ相手、同じ会話が繰り返されることが、この部屋の「孤独」だった。

中華料理店の外に出た私は裸足になっていて、足の裏から絨毯や泥や芝生などの様々な地面を感じていた(実際に立っているのは乾いた土の地面)。そして、数多の孤独を抱えすぎて透明になってしまった支配人のことを考えていた。そして、何故支配人は私の孤独を抱えられなかったのを考えた。夢の中の私は目の前の出来事をすぐに受け入れ、瞬時に理解する力があるのに、これだけはいくら考えても分からなかった。

自宅の近所まで戻り、裏に新しいスーパーが出来ているのを見つけた。入り口近くで十年以上会っていない友人が化粧をした状態で声をかけてきて、私と友人はそのまま歩道の一番狭いところを歩いて、川へと向かった。そこで目が覚めた。

夢の中の私が抱えていた孤独は何だったのか、昼休みに青椒肉絲を食べながら考えたけれど、夢の中の私ほど賢くない私はわからなかった。冷蔵庫にはまだヤクルト1000が残っているけれど、飲むのを躊躇っている。