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ソングラインが世界へ

2011年4月30日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 僕が好きな旅の本の中にイギリスの旅行作家であるブルース・チャトウィン著の「ソングライン」がある。これは広大なオーストラリアの先住民族であるアボリジニに伝承される「歌の道」の話だ。

 オーストラリアに住むアボリジニはそれぞれの一族が崇拝する動物がある。ワラビー族であるとかコアラ族であったり、小さな虫族であったりもする。 それぞれの一族には歌があり、その歌が示しているのはオーストラリア全土に広がる大岩、小岩、砂利道、土に伝わる物語の歌だ。その歌が彼らが大陸を歩くときにナビゲートしてくれるのだ。歌を歌うことによって大地が創造されるため、一語一句間違わないで歌を伝承しなければならない。

 チャトウィンは本の後半に「こんな光景が僕には見える。ソングラインが大陸や時代の境を超え、世界中に延びている。人が歩いたところにはすべて、歌の道が残されている」と書いた。彼は出版後の1989年に48歳という若さでこの世を去った。
 ソングラインが世界につながっているのではないかという考えが僕を魅了した。
 例えば、以前このコラムでも紹介した「一万年の旅路」。著者のポーラ・アンダーウッドはイロコイ族の語り部の末裔であり、彼らがアフリカ大陸からいかにして北米までたどり着いたかということが、一語一語間違わないように伝承として語られている。その中には彼らがどうやってベーリング海峡を越えたかという伝承があり、大陸を横断した話が一族の学びとして語り継がれている。

 自然写真家で旅行エッセイストの星野道夫氏著の「森と氷河と鯨」という本の中で、北米ユーコン川ほとりの村、ミントウに住んでいる先住民族の老人、ピーター・ジョンと交流しているシーンがある。 
 ピーターは星野氏に「わしの家系はカリブーだ」と言ってカリブーの歌を歌った。そして「わしがこの世を去ったとき、あらゆる動物が死んでいく。あらゆる物語がな…」。
 多くの失われていく伝承や部族に伝わる歌に、チャトウィンが想像を巡らせた世界に広がるソングラインの断片がある。それぞれの物語には先人が自然と共存した知恵や世界を冒険した学びがある。「歌が失われる時、世界も失われる」。現在を生きる僕たちにとって警告とも聞こえる。

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