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1000回目の富士山

2010年10月16日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。

 村山古道は平安時代末期に開かれた日本最古の富士登山道である。修験道の修業の場として江戸時代までは使われていたという。
 しかし、100年ほど前からその登山道の往来は途絶え廃道となる。10年前に、登山家の畠堀操八さんがその存在を知ることになる。彼は村山古道に興味を持ち、2年がかりで地元の資料と人々の協力により、苦労の末再発掘した。
 このルートのすごさは古いだけではなく、日本一の山のスケールをそのまま体感できることだ。海抜0㍍の田子の浦の海より、富士のすそ野を歩き、樹海を超えて山頂へと向かうところにある。全長63㌔、標高差3772㍍のスケールを歩く道のりだ。

 僕はこのコラムでも紹介した富士山1000回を目指す實川欣伸(じつかわ・よしのぶ=67歳)さんに誘われ、彼の1000回記念登山に同行して村山古道をご一緒することとなった。
 10月9日夕方、前日までに999回登頂を終えた實川さんと彼の仲間、僕の友人たち7人がJR吉原駅(静岡県)に集合した。
 大雨が夜から翌日未明まで降る予定だ。覚悟を決めての出発。みそぎをするために海に出て、小石を広い、田子の浦の富士塚へ積みに行く。東京都内には58基の富士塚があるというが、その多くは富士山に祈りをささげ、その力と恩恵を得ようとするもの。
 しかし、田子の浦の富士塚は古来、富士山を目指す修験者が石を積み上げていった巨大なケルンで、登山の始まりを意味する場所だ。それはいわば、修験者たちの決意の表れで、ほかの富士塚とその意味合いは大きく違う。

 吉原の街を抜ける途中、實川さんが懇意にしているお土産屋さんに立ち寄った。富士をかたどった置物、タオルに時計、ステッカーなどの土産物が所せましと並んでいる。あいにくと暗闇と雨で山は見えないが、この町は昔から富士登山のスタートの場所として栄えてきたのだ。その証拠にここより富士を見て向かう道はすべてが登りとなっている。富士に降りしきる雨は濁流となりすそ野に流れ、外を見ると公道は雨水によって川のようになっている。

 山頂をはるか彼方に望みつつ、1000年も前から修験者たちは自らの意思を高めるために、この地に立ち、目指す霊峰を畏敬の念を込めて眺めてきたのであろう。横には登頂1000回目を目指す實川さんがいる。僕も現代修験者さながらの気持ちで襟を正し、ここから富士山へ向けての一歩を踏み出す。

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