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できることを行動に

2011年3月26日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 東日本大震災発生時に僕は家族と逗子の家にいた。逗子に被害は及ばなかったが、大津波警報による避難勧告が出て高台にある南郷中学校に避難した。
 先生方は快く僕らを受け入れてくれた。そのうえ水、食料、毛布、ストーブまで用意してくれた。その夜はとても冷え込み、毛布2枚かけても寒かった。夜中に度々起きて、温かい飲み物を手に取ってストーブで暖をとる。逗子でもこれほど寒いのだから東北地方の寒さは想像を絶するのだろう。

 震災直後からテレビに映される悪夢のような光景。被災者が凍える姿を傍観しているだけでは無力感に支配されてしまう。何かできることはないのか。ともかく行動することは必要だと「ミウラBC(ベースキャンプ)支援隊」を結成した。
 ともかく心配なのは東北地方で今も続く寒さだ。登山医学会に協力してミウラ・ドルフィンズのスタッフが低体温症への対応を登山医学会のホームページにアップした。その後、このページは新聞やテレビに取り上げられ低体温症のマニュアルとして被災地で実践されている。
 またアウトドアメーカーに協力をお願いして120個の寝袋とテントマットを購入、札幌のスキースクールでは被災者用の防寒具を集めた。これらをできるだけ早く被災地に運び入れることが大事だ。三浦雄一郎が校長を務めるクラーク国際記念高校は、いち早く緊急指定車両を申請し、被災直後から必要とされる物資を仙台へピストン輸送している。

 ありがたいことに、僕らの呼びかけにこたえ、多くの知人たちも動いてくれた。被災地へ届ける物資購入の義援金、長引く避難生活で栄養が偏らないようにとマルチビタミンの提供、最も必要とされるところに支援品が届くように政府関係者との橋渡しなどで、心を合わせて協力してもらっている。
 こうした取り組みはもちろん僕らだけではない。支援の輪は日本中に、さらに世界へ広がっている。

 現場では危険を顧みず、命がけで原発事故を食い止めようと戦っている作業員がいる。全てを失っても誇りと笑顔を失わず助け合って、新たな一歩を踏み出そうとする被災者の皆さんを思うと胸が熱くなる。復興にはこれから何年もかかり、求められる支援は状況により刻一刻と変化していく―――救助、救援、復興へ自分たちにできることで動いていこう。


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