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M&P LEGAL NEWS ALERT #1:日本に上陸した投資仲裁

1. 日本政府に対する初の「投資仲裁」

2021年3月、ある香港の投資家が日本政府に対して「投資仲裁」を申し立てた。投資仲裁とは、外国投資家が投資により被った損害の賠償を投資先の国家(投資受入れ国)に対して求める法的手続きである。日本政府にとって投資仲裁の申立てを受けるのは、今回が史上初である。

ここでポイントとなるのは、投資家が政府を訴えているということである。投資仲裁は、日本政府が海外投資家を保護することを定めた国家間の条約に基づく手続きであるため、海外投資家と日本政府との間に直接の契約関係は必要ない。香港の投資家は、日本・香港間の投資協定に基づいて投資仲裁を申し立てたと報じられている。

2. 多数の投資仲裁に直面したスペイン

いまだ詳細は明らかになっていないものの、投資仲裁を申し立てたのは、再生可能エネルギーに対する日本政府の補助金の切り下げにより損害を被った香港の投資家であると報じられている。今のところ、日本国内のメディアは本件をほぼ報じておらず、日本政府も対応方針を発表していない。

だが、日本政府が投資仲裁のターゲットとなったことには、無視できない意味がある。というのも、今回の一件は、近年の国際ビジネス法務の世界的な潮流がついに日本にも上陸したことを意味しているからである。諸外国に目を転じれば、実に多くの国の政府に対して、再生可能エネルギーの誘致をめぐる投資仲裁が提起されている。

その代表例がスペイン政府である。スペイン政府に対しては、日本企業を含む世界中の投資家が50件を超える投資仲裁を申し立て、請求額の総額は73億米ドル(約8,000億円)に上るともいわれる。その中には既に仲裁判断が下されたケースもあり、その多くはスペイン政府の賠償義務を認めている。

これらの投資仲裁で主要な争点となったのは、再生可能エネルギー事業に対する投資誘致策の切り下げが、投資受入れ国たるスペインに要求される、外国投資家に対する「公正かつ衡平な待遇(Fair and Equitable Treatment、FET)」に反するかどうかであった。

事の発端は、2000年代にスペイン政府が固定価格買取制度など再生可能エネルギーの投資誘致策を推し進めた点にある。それによって、スペインには多くの資金が流入するが、スペイン政府は2010年代に入って相次いで支援策を切り下げた。その結果、投資を回収することができなくなった各国の投資家が、エネルギー憲章条約(ECT)等に基づく投資仲裁を利用し、スペインのFET違反を追及しているのが現状である。この構図は、固定価格買取制度を通じて再生可能エネルギーの導入を進めてきた日本にも当然のことながら当てはまりうる。

3. 日本企業が受ける投資保護の恩恵と投資受入れ国日本の義務

それでは、今後いかなるシナリオが展開するのだろうか。投資仲裁において投資家サイドの主張が認められると、投資受入れ国が賠償義務を負う。その原資は、言うまでもなく税金である。

投資協定は海外投資を行う日本企業に強力な保護を与える一方で、日本政府は投資受入れ国として、海外投資家を保護する義務を負う。近年、日本政府は世界各国との投資協定の締結を精力的に進め、外国への投資を行う日本企業もその恩恵を受けてきた。日本企業がスペイン政府に対して再生可能エネルギーについての投資仲裁を申し立てることができたのも、日本がエネルギー憲章条約(ECT)に加盟しているからである。

しかし今や、構図は逆転しつつある。初めての投資協定の締結から40年余りを経て、日本政府はついに投資仲裁に直面している。スペインの例のように、日本政府に対して似たような投資仲裁の申し立てが続く可能性もあるだろう。日本でも、投資協定上の義務を意識した制度設計が求められる日がやってきたのである。


Author

弁護士 緑川芳江(三浦法律事務所 パートナー) 
PROFILE:弁護士(日本・ニューヨーク州)。英国仲裁人協会会員(MCIArb)、日本仲裁人協会会員。東京大学法学部卒業・同法科大学院修了、コロンビアロースクール(LL.M.)修了。2007年弁護士登録(第二東京弁護士会)、2015年ニューヨーク州弁護士登録。森・濱田松本法律事務所等を経て、三浦法律事務所設立パートナー。予防から解決まで訴訟・仲裁・調停など紛争案件を中心に、国内外のビジネス法務を手掛ける。日本およびシンガポールの大手法律事務所での勤務経験を通じ、国際実務に即したアドバイスを提供している。投資仲裁分野の著作として『よくわかる投資協定と仲裁』(共著、商事法務、2018年)。The Best Lawyers in Japan (Litigation) 2021、The Best Lawyers in Japan (Litigation) 2022選出。

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