見出し画像

M&P LEGAL NEWS ALERT #4: 企業担当者が知っておきたい国際仲裁手続き-紛争マネジメントの視点から-

国際的な契約交渉の担当者にとって、仲裁条項(arbitration clause)とは、見たことはあるが、あまり気にとめたことはない契約条項なのではないでしょうか。仲裁条項が規定された契約について実際に紛争が生じた場合、どのように仲裁手続きが進むのかという点について、あまり考えたことはないという方も多いかもしれません。

しかし近年、日本はSIAC(シンガポール国際仲裁センター)やHKIAC(香港国際仲裁センター)における国別当事者件数でトップ10入り(SIAC2020年統計で日本は9位、HKIAC2021年統計で日本は9位となっています。)しています。今や、国際仲裁は日本企業がいつ巻き込まれてもおかしくないものとなっているのです。

本稿では、海外企業との取引が紛争化した結果、取引先から仲裁申立書(Notice of Arbitration)が届いたという事態を想定して仲裁手続きを概観します。当事者自治を尊重し、手続きを柔軟に進めることができるのも国際仲裁の特徴である以上、個別案件ごとに手続きは異なりますが、本稿では概要を把握するという観点から、一般的な手続きについて述べることにします。

1. 国際仲裁手続きの開始

仲裁申立書を受け取った部署から対応について相談された法務部は、何から手をつければ良いでしょうか。まず仲裁申立書は、それが仲裁手続きという法的な紛争解決手続きの開始を示す通知であること、自社は被申立人(Respondent)として仲裁手続きで反論していく必要があることを事業部等の関連部署に伝え、協働していくことになります。

また、早急に仲裁手続きで自社を代理する弁護士を選定しなければなりません。紛争の対象となった契約書には、通常、契約準拠法(governing law)や仲裁機関(arbitration institution)、仲裁地(seat of arbitration)の規定がありますので、その規定を手掛かりに最適な弁護士を選定します。

通常、契約準拠法が日本法であれば、日本の弁護士を代理人として選任することになります。これに対して、契約準拠法が海外の法律とされている場合、その国の弁護士を選任するのに加えて、日本の弁護士を選任するかどうか、という点も考慮事項として重要です。特に国際仲裁手続きに慣れていない企業の場合には、法務部と共に「司令塔」となる日本の弁護士を選任した方が良い場合もあるでしょう。

国際仲裁は、日本での裁判とさまざまな点で勝手が違います。日本の裁判では、日常的に使っている日本語で、慣れ親しんだ日本法に基づき、日本法の専門家である裁判官に対して法的主張を伝えれば十分です。従って、契約違反の有無や、損害額といった権利義務に争点が絞られることが多く、使用言語や判断権者の選任手続き等は、法律に定められているため、ほとんど争点になりません。

他方、国際仲裁の場合には、外国語で、外国法に基づき、外国人であることの多い仲裁人(arbitrator)に対して、自社の主張を展開しなければならず、権利義務に関する点だけでなく、手続きの進め方についても争点となりがちです。

法務部では、代理人の選任と並行して事実関係の確認や法的主張の検討を行い、答弁書(Response)の準備に入ることも求められます。答弁書自体は仲裁人についての希望等手続き面の記載にとどまり、詳細な法律論を展開しないのが一般的ですが、注意すべきは提出期限です。例えば、日本企業もよく利用しているSIACの仲裁規則では提出期限は申立書受領から14日間ですので、紛争が生じてから慌てて国際紛争の専門弁護士を探す事態は避けたいところです。従って、仲裁に至る前に企業間で協議が行われるのが通例ですので、その段階で代理人についても検討しておくことが求められます。

2. 仲裁人の選任

裁判とは異なり、国際仲裁では判断権者となる仲裁人を当事者が選任することが原則となります。ただし、紛争関係にある当事者が仲裁人の選任について合意できないことも多いので、その場合には仲裁機関が選任します。

もし自社が選任する仲裁人に判断に加わってもらいたいという希望が強い場合には、仲裁条項で仲裁人の数を3人と明記しておくことも考えられます。3人の仲裁人が判断する場合には、当事者がそれぞれ1人ずつ仲裁人を選任し、当事者から選任された仲裁人が第三仲裁人を選任し、仲裁廷(tribunal)を構成するというのが一般的な仕組みです。

さて、仲裁人候補者はどのように見つければ良いのでしょうか。この問題については、代理人が仲裁人候補者を何名か提案し、当事者と相談して決定することが一般的です。仲裁人候補者となるのは経験を積んだ弁護士であることが多いですが、弁護士であることは必須ではなく、事案の性質や準拠法等を考慮して適切な候補者を選別していきます。仲裁人には手続きの進行について広い裁量が認められますし、仲裁判断は最終的な判断で不服申し立てをすることができないのが原則ですので、仲裁人選定は非常に重要なポイントなのです。

3. 仲裁廷成立後の手続き

事実関係や関連資料を代理人に共有し、自社の法的主張を書面の形で主張する過程は、裁判とも共通する点です。異なるのは、裁判では日本語で日本法に基づき主張を整理していくのが一般的なのに対して、仲裁では外国語で外国法に基づいて自社の主張をしなければならない場合が多いという点です。

また、文化や商慣習の違いにも配慮する必要があります。例えば、日本独自の意思決定手続きと言われる稟議制が問題になった場面を想定してみましょう。自社で適切な意思決定がなされたことを示すために、稟議書を証拠として主張を構成する場合には、稟議制についての知識がないことを前提に、そもそも稟議制とは何かという点に遡って説明していく必要があるでしょう。
国際仲裁を初めて経験される企業からは、海外の仲裁機関を選択した場合、何回くらい現地に出向く必要があるか、というご質問をしばしば頂きます。実は、必ずしも現地に出向く必要はありません。日本の裁判では期日のたびに裁判所に足を運び、証人尋問も裁判所で行い、判決も公開法廷で下されるのですが(ただし、2022年5月に成立した民事訴訟法のIT化関連法が施行されれば多くの手続きがオンライン化されます。)、国際仲裁では関係者が一度も対面で集まることがないということもよくあります。

国際仲裁では、主張書面や証拠のやりとりは電子メールや仲裁機関のオンラインシステムを通じて行われますし、手続きの進め方に関する協議(case management conference)は対面ではなく、オンライン会議や電話会議でなされるのが通常です。また、証人尋問(witness hearings)についても、特にコロナ禍以降はオンラインで行われることが多くなっています。ESG、SGDsといった環境負荷を下げようという世界的な取り組みの中で、仲裁実務における環境負荷を下げようという動きはGreener Arbitrationsキャンペーンにも表れています。

さて、裁判官、当事者となる企業関係者、その代理人がみな日本に所在することが多い日本の裁判と異なり、国際仲裁では、関係者が同じ国に所在することはむしろ稀です。例えば、申立人がイギリス企業、被申立人が日本企業、契約準拠法がシンガポール法、仲裁人と代理人はイギリス、日本、シンガポールに所在している、というようなケースは珍しくありません。

その一方で、オンラインの手続きが主流になりつつある中でも、意外と重要なのが時差です。関係者がいくつものタイムゾーンに所在する場合、どのタイムゾーンに合わせて証人尋問等の重要な手続きを行うか、ということは頻繁に問題となります。

4. 仲裁判断

主張書面や証拠の提出、証人尋問等を経て審理が終わると、仲裁判断(Award)が下されます。申立人の請求が認められたにもかかわらず、被申立人が任意に損害賠償金等を支払わない場合には、財産が所在する国での強制執行手続きが必要になります。

国際仲裁に関してはニューヨーク条約と呼ばれる国家間の条約が存在し、加盟国間の裁判所では相互に外国で下された仲裁判断の執行を保障する制度が存在します。しかし、外国で下された仲裁判断が迅速に執行されるかどうかは各国の裁判制度や裁判実務により異なるところです。従って、契約交渉段階でスムーズに強制執行できるかという点も意識して紛争解決条項をドラフトすることが求められます。

なお、国際仲裁では敗訴者負担の原則があります。国際仲裁には、仲裁機関の手続き管理費用、仲裁人報酬、代理人報酬等さまざまな費用が発生しますが、勝利した当事者は、これらの費用を相手方に請求することができるのです。請求を受けた仲裁廷は、費用に関する仲裁判断(costs award)を下します。

5. 国際ビジネスと紛争

契約交渉段階で吟味されることの少ない仲裁条項ですが、法制度も商慣習も異なる海外取引先との紛争は、自社の努力では必ずしも防ぐことができません。そうだとすれば、国際ビジネスに関する紛争は避けて通るべき病理事象ではなく、ビジネスに付随するリスクとしてとらえる必要があるのではないでしょうか。今後は、国際ビジネスを展開する企業は紛争リスクを管理するという視点から、常に紛争の発生に備えることが求められるように思われます。


Author

弁護士 緑川 芳江(三浦法律事務所 パートナー)
PROFILE:弁護士(日本・ニューヨーク州)。東京大学法学部卒業・同法科大学院修了、コロンビアロースクール(LL.M.)修了。2007年弁護士登録(第二東京弁護士会)、2015年ニューヨーク州弁護士登録。森・濱田松本法律事務所等を経て、三浦法律事務所設立パートナー。紛争案件を中心に、国内外のビジネス法務を手掛ける。日本およびシンガポールの大手法律事務所での勤務経験を通じ、国際実務に即したアドバイスを提供している。上海仲裁委員会(Shanghai Arbitration Commission)仲裁人。近時の仲裁に関する講演として「Lexology Litigation Funding Masterclass」、「ICC YAF: Law and Culture in North Arian Arbitration」、「実務担当者が押さえておくべき国際仲裁条項ドラフティング講座」等。英国仲裁人協会会員(MCIArb)、日本仲裁人協会会員。The Best Lawyers in Japan(訴訟)2021~2023、The Arbitration Expert of the Year in Japan by Global Advisory Experts’ Annual Awards 2022、2022 Winner, Arbitration in Japan by Advisory Excellence等選出。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?