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私の事④

訪れていただきありがとうございます。

ここから先は、ご興味ある方のみ

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*ご気分を害す記述があるかもしれませんので

ご了承ください。

                            ☆ ☆ ☆

「だって、家族じゃないじゃん」

って思ったとき、私の中で張りつめてた糸が切れました。

「もう、どうでもいいよ」

「今までの事は、決して消えないし、傷も治らない・・・」

心に空いた穴は絶対に埋まることはない。

小・中で虐めにあってた時

近くに居て欲しいとき

話を聞いて欲しいとき

そんなときにいてくれなかった。

頭を撫でられたこともない

「すごいね」と褒められたこともない。

叩かれ、罵られ・・・

これから先も変わらないと思った。

だから、自分の中で「いない人」にした。

そのほうが楽だった・・・

顔色見て過ごす事も

声を聴くことも

姿を見るのも

当時の私には地獄そのものでしかなかった。

施設に入って、自分が笑っているのが不思議で

自分が自分じゃなく

仮面をつけたキャラとして生きていた感覚。

そうしてないと自分を保っていられなかった。

寝ると夢に見て恐怖で

目が覚めるのは当たり前。

そんな生活がしばらく続いた。

ただ苦しかった、泣きたくても泣けない

言いたくても言えない

自分を押し殺して「いい子」を演じていたのだと思う。

親子関係が破綻してたけど

何も知らない弟妹は

「お姉ちゃんなんで帰って来ないの?」と言ってたらしい。

幸せだよね。羨ましかった。

ほんとに生きてるのに疲れてた。

ある時、施設の先生と面談をしたときに

「施設を出ても家には帰らず、県外とかに出たい」

「住み込みでもいいから、一人になりたい」

と思いを話した。

後に退園するときに願い通りになるが、その話はもう少し後で。

その面談の際に、「これ・・・」

と渡されたのは、母からの手紙だった。

拒否し続けてた母。見る気になれなかったが

促されて読んだ。

今でも忘れない

「育てるのに私も若かった・・・」

「どうしていいかわからなかった」

「ほんとにごめんね」

何を言ってるのか理解できなかった。

まるで、呪文が書いてあるんじゃないかと思うくらい。

謝れば全て終わるの?

謝れば私が許すと思ってるの?

どれだけ、苦しくて・飛び出したくて・逃げたくて・・・

逃げる事も

叫ぶことも

泣くことも

助けを求める事さえできずに

「お母さんと血のつながり無いよ」

とダメ押しのように言われた私の気持ちは

どこに吐き出せばよかったのか・・・・

当然のように返事は書かなかった。

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