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冬眠中のコミュニケーション

先日友人宅でランチ+ゆるゆると話す会。友人ご夫婦がちょこちょこお料理しては出してくれて、その間をぬってとりとめもない話をしていた。
南向きの窓からは光がふわりと差し込んでくる。「こんな穏やかな時間を過ごせるなんて、幸せ」と身体の真ん中あたりに囲炉裏の火みたいな暖かさをじんわり感じていた。

この2年、人と会って話す時間が激減した。それを埋めるようにネット上でテレビ電話のごとく友人と話す。その時間はマスクをしなくてもいいし、時間を気にしなくてもいい。こうやってコミュニケーションするのもいいな、と思っていた。

それで、久しぶりに友人宅でのこんな時間。顔を見てリアルに話す時間。やはり場で起こっている情報量が全然違う。しかも食事をしながらということもあってかなり気持ちは緩んでいる。

話す設え、というか自分の中にどうやって降りていって言葉を放てばいいんだろう、と思っていた。そうか、情報が多くてそれを処理しきれていない。窓からの光、風、お料理、お皿、その香り、味、そして人と向かい合った時の相手の表情、間、声色、動き。そして自分が心地いいと思っていること全て、例えば素敵なお皿だ、とか魚が美味しいとかこの調味料いいな、とか
かかっている音楽が懐かしいとか。

感情や感覚が心身の内にむくむくとマックスになってるので、言葉という頭の中に入っているツールが出てこない。
なので、これを話そう!と思っていたことも頭が整理されないので、それが書き殴られたノートを広げて見せることに。
なんと、雑なコミュニケーションなんだろう。

それだというのにそこで11時間も食べ、話しているというのは、不思議。何か他の感覚を使っている。多分。コミュニケーションっていろいろとあるんだ。

結論がない時間。次に続くプロローグみたいな時間。春が近づいている中で今はそんな時間やコミュニケーションが心地いい。少しまだ冬眠中。


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