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新年だけど節分まではまだアイドリング

2022年になった。年明けから寒い日が続いていて一昨日は東京でも大雪。
久しぶりにこんなに積もる雪を眼の前にして、少し気持ちが上がる。
雪雲の仕事は着々と辺りを白に塗り替える。私は目の前の世界が変わっていくのを実感する。この世の終わりっていきなりやってくるのではなく、こんな感じで少しずつやってくるのかもしれない。そして、この世の始まりも。

私は寒さにそんなに免疫がないので、この時期は半分冬ごもり。昨年は1月から全力疾走だったので調子が少し狂った気がする。やはり慣れないことはやるべきではないようだ。特にある程度の歳になってきたら。

それで今年は節分までアイドリングしつつ、今何が心地いいかということを考えている。今まではやりたいこと、やりたくないこと。実行すること、実行しないこと。目標は?ということを年始に考えてできる限り実行してきたつもり。
でも、今年は違う。見たい現実を現実化させるためにどこか気持ちも行動も雑になったことってなかっただろうか?と振り返ってみる。

プロセスの中で何か無理があると、そこに歪みが生まれる。
それは仕事でも、人間関係でも、趣味でもなんでもそうだ。たとえ、その事柄がうまくいったように思えても、他に負担がかかっている。自分にも周りにも少しづつ亀裂が生じたり、ちょっとした刺激に耐えられなくなっていたりする。

ふと、自分に、周りに、環境にスペースを作ることがいいんじゃないか?と思う。スペースは空間。空いている部分を自分の内面にも外部にも持つこと。

このところ部屋の片づけや断捨離をしている。かれこれ半年くらい続いているのだけど、ひとつひとつ丁寧にものを見て、今必要か、これから必要かということを思う。過去に集めていた記事の切り抜きやコンサートチケットを見て、あまり変わっていない自分に驚く。読んでいた本を引っ張り出し、これはもう読まない、これはいつか読むかもしれないと判断しながら少しづつ行なっている。心地よさを感じながら。

そして、このところの発見はちょっとした家具の角度や物の置き場所を変えるだけで部屋の雰囲気がガラッと変化するということ。
「なぜ今までこうしなかったんだろう」。
本当だ。なぜこの使いにくい状態を許していたのか。

スペースを作ることってこんな小さなことからも始められる。
きっと物事のプロセスもこんなもの。この世の始まり。


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