人のために何かしたいという種 ーウテ・クレーマー
シュタイナー教育との出会い
80歳を超えた今も子どもたちのために尽くし続ける女性。それがウテ・クレーマーさんです。
彼女はドイツで生まれて20代でブラジルに渡り、貧困街の子どもたちへの活動に生涯を捧げました。
ウテさんはドイツでシュタイナー教育を学んでいました。シュタイナーの言葉にとても心惹かれていたウテさん。それは、
「わたしたちは、人のためになにかしたいという種をもって生まれてくる」という言葉でした。
この言葉を聞いて、自分も誰かのため、そして社会のために何かをしたいという強い思いがウテさんの心に込み上がってきました。
一方でウテさんは、好きな人と結婚して子どもを授かり母親にもなりたいと考えていました。
そんなウテさんには結婚を約束したパートナーがいました。
ブラジルへの研修の旅
婚約中のウテさんでしたが、結婚する前にブラジルの貧困街でのボランティア研修に参加することを決めました。婚約者を残し、ブラジルへと旅立ちました。
そこで人生を変える出来事に遭遇します。
ブラジル市民の貧富の格差は大きく、貧困街での子どもたちの生活や教育の実態を目の当たりにしたウテさんは大きなショックを受けました。
一方でこの場所でなら、自分がこの子たちのために何かできるかもしれない。という希望も同時に抱き始めました。
ある日、ウテさんが泊まっていた家に物乞いの子どもがやってきます。
「何かください。何でもいいです。乾燥したパンでも、何でも」その子はいいました。
その子を家に招き入れました。
そしてウテさんは食べ物を別けるだけでなく、共に芸術活動を始めたのです。
子どもであっても物乞いを招き入れることはタブーでした。誰もそんなことはしません。
でも、ウテさんにはそれが必要だと感じたのです。
そして、貧困街の子どもたちに教育を伝える活動が始まりました。
ウテさんの決意
婚約中だったウテさんはブラジルでのボランティアに2年を費やし、ドイツへ帰国しました。
それでも、ウテさんの頭には貧困街のあの子たちのことばかり。とても、ドイツで生活するなんてことはできませんでした。
ウテさんは何と婚約を解消してしまいます。そしてシュタイナー教育を教員として教えられる資格を取得。
そブラジルサンパウロのシュタイナー学校へ教員として赴任することで、再び貧困街の子どもたちの元へと戻ったのです。
ウテさんは信じていました。
子どもたちにはその時期にしか持つことができない豊かな感性がある。この感性を自分のものにできるように、感性を育てるチャンスを大人が与えなければならないと。
それができるのは教育であり、あの貧困街でそれをできるのは私だと。
人のことを助けながら、自分が変化する
ウテさんがもう一つ好きなシュタイナーの言葉がありました。
「心から人のために尽くすとき、自分自身にも変化が起きる。そして、それをもたらす特別な人との出会いが誰しも必ずある」
80歳を超えるいま、ウテさんはこの言葉を心の底から実感しているといいます。
20代のウテさんは、幸せな家庭を持ちたいという自分の希望と、人のために仕事をすべきという教えとを天秤にかけていました。
しかし、ブラジルの貧困街の子どもたちというシュタイナーが言った「特別な人との出会い」によって、必然的に教えを実践することになったのでした。
貧困街での教育活動を通じて、ウテさんは自分の持っているものをすべて与えてきました。
そうすることで、自分自身が思っていた以上のことを成し遂げることができたといいます。
ウテさんが自宅に物乞いを招いた日からスタートした教育活動は、大きなコミュニティへと成長しました。
いまでは、ブラジルの市民社会を教育、保健面でけん引する存在となっています。
「どんなに小さいことでも、私たちにできることが必ずあるはずです。そして、そういう小さいことに手をつけることからすべてが始まる」
ウテさんはそう言っています。
参照:第3回人間の本質を追求して「ウテ・クレーマーさん - YouTube Daisuke Onuki