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仕事だけはちゃんとやる 〜金沢で被災した私が今できること〜

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エピソード本文の前に少しご挨拶を。

私の実家は金沢です。
震災時には帰省していました。
家族も自宅も無事でした。

でも、続く余震や断水で不安で眠れません。
そんな夜にスマホをさわっていて、この高村さんの記事を見つけました。

どうして良いかわからない気持ちが、少し落ち着き勇気をもらえました。

微力だけれど、自分が与えられている仕事、家族との時間に 尽くしていこうと思います。

noteで繋がってくださっているみなさま、
2024年もどうぞよろしくお願いします。

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東北の震災で祖父と祖母を津波で亡くした高村早苗さんのお話です。

高村さんにとって、二人は親同然の存在でした。

共働きの両親に代わって、幼い頃から高村さんと一緒にいてくれたからです。

そんな大切な二人を震災で失った高村さんは失望から立ち直ることがなかなかできませんでした。

「温かいお湯は使えません」


震災から2年後に行われたアンケートに高村さんはそう書きました。

じいとばあ(祖父と祖母)が津波で冷たい水の中に沈んだのに、自分だけ温かいお湯を使うなんてできない。

彼らの苦しみを自分自身に焼き付けるように、3年間は冷たい水を使い続けていたそうです。

「仕事だけはちゃんとやれ」


じいとばあが高村さんによく言っていた言葉でした。

どんなときでも、仕事には心を尽くしてよく働く方がいい。そして良い家庭をつくりなさい。

高村さんはこの言葉で自分を奮い立たせ、その通りに仕事だけはという思いで、一生懸命に生きてきました。

「それがなかったら、たぶんわたしはおかしくなっていました」

自分に与えられた仕事に向き合うことが、過酷な状況の中でも平常心を保つことを助けてくれました。

何より落ち込んで二人を心配させてはいけないと。

じいとばあの教えを守ることが、高村さんにとって二人と一緒にいることになりました。

ばあの最後の言葉


「幸せな家庭を持ってほしい。
早苗の結婚がじいとばあの夢だから。
結婚相手には一生懸命働く人を選びなさい。」

震災の前夜、ばあと最後に会ったときに交わした会話です。

震災の数年後、高村さんはばあの残した言葉に従うように働き者の男性と結婚し、子どもが二人産まれました。

子どもを産んでからは、高村さんは子育てに心を尽くしています。

人のことなんて考えられないような辛いときであっても、人のために働くことが自分自身を助けるのだと教えられた高村さん。

これからも天国の二人との思い出を胸に、夫婦共よく働き、幸せな人生を歩んでいくそうです。

参照: あの時の私へ ~前を向くことばの裏に~ NHK NEWS WEB

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