この広い空の下で繋がってる人たちが、みんな幸せでありますように。

11月に入ってグッと寒くなったけど、夏より外で過ごす事が増えた。今年の夏はキャンプをする機会にたくさん恵まれて、改めて外の空気の中で過ごす心地よさに目覚めてしまった。目覚めてしまった、と言うか思い出した。私は、もともと、いい天気だと外に飛び出たくなるヤツだった。休みの日も家でじっとしていられないタイプ。何より大阪市内でも大きい緑地公園のすぐ近くに住んでいる幸運も相まって、最近は緑地でピックニック三昧だ。

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空を見上げて、空気を吸う。
揺れる木々の葉の色が美しい。
枝葉の間から見える、そらの青が濃い。
そらは、広い。大きい。
このずっとずっと上の、その先もずっと…無限大の空間が続いているんだと思うと不思議な気持ちになる。この大きな空の下で、今まで自分が関わってきた人全て、みんな想い想いの時間を過ごしているのか。

ふと、そんなことを考える。

 大好きな人、大切な人も。わたしを愛してくれる人も、そうじゃない人も。思い出せないほど離れてしまってる人も。みんなみんな。


ご縁があって近頃よく会う人、信頼関係が出来上がってる人。もちろん気の合う同士で過ごす時間は、間違いなく楽しい。自分と同じエネルギーの人を引き寄せると聞くから、「素敵!!」と思える人と自分が同じ空間に居られるということは、自分が同じくらい素敵エネルギーを発していれてるのか!?…と思うと、やったぜ!と心の中でガッツポーズをしちゃう。心底ありがたい。成長できたのかな、わたし。

というのも、ここのところ、今まで以上に物事をポジティブに考えられるようになったから。「ごめんなさい、すみません」「私なんて」という言葉の代わりに、「ありがとう」「嬉しいです」と言う機会が格段に増えた。不思議なことに、“言葉”と、自分の “なりたいセルフイメージ”を明確にもつだけで、こんなに人生変わるのかと言う衝撃を受けた。感謝すればするほど、会いたい人に会えるし、素敵な出来事も起こる。こんなことある!?と言うくらい幸せな時間が増えていく。だから、ますます感謝する。みたいなサイクルになってきた。

そんな想像で、レジャーシートにねっころがってホワホワしてたら、ふと、なぜか最近会わない人のことも頭に浮かんだ。
この空の下にみんないるのだ。私が今まで出逢った人たちはみーんな、楽しい人もそうでない人も(言い切ると語弊があるが)それぞれの今を生きている。

なんとなくタイミングが合わず、合わなくなってしまった人もいるし、価値観が合わなくて別れてしまった人。傷つけてしまった人、自分が傷つけられた人さえも。今頃どうしているのだろう。



人間関係、ネガティブな結果になることは、ある。出会う全ての人とうまくいくだなんてことはない。お互い自分の正義を押し通そうとして傷つけてしまうこともある。きっと、相手を大切な存在だと思うからこそ、精一杯の愛情や正義をぶつけてしまうのだろうか。不思議とうまくいかないそんな時は、お互いの人生的に、その時は離れた方がうまく行くからそうなってる気がする。ご縁があればまた繋がるんだろう。

今までは、わたし自身、傷つき傷つけられた人たちのことは、もういいや・・・・と思っていたけど…

ん、ちょっとまって。私の中の「私会議」が言う。
本当にそうなの?


思い出す、気になる、と言うことは、まだどこかで気持ちが繋がってる。幸せを築くためには「執着を手放す」とはよく言ったもので。「悪い」ものを手放せばその分、空いたところに「良い」ものが入ってくる。だから、嫌な気持ちになる人のことは、自分の中から消し去れの意味だと思ってきた。強制的に、記憶から、わたしの世界から、抹消しなければ・・・と思っていた自分に、ハッとする。

なにかが違う。

負の感情は、消せなかった。
その人を思い出すたび、付いてきた。

見ないことはできる。でも、確実に、そこにある。それも、わたしから出た、感情の一つなのだ。

思い出すということは、私はその人のことを気にしていて、意識で繋がってる。繋がってるのだ。

今までは、良い関係になれなかった人に対して、なんでそんなことを言うんだ、そんなことをするんだろう?と思っていた。烏滸がましくも、可哀想とさえ思った。だから、相手が変われば“良く”なれるのにと思ってた。きっと違う。相手には相手の求める心地よさがある。相手を変えることはできない。わかっていたはずなのに、いつのまにか自分が関わる人をコントロールしたくなっていたことに気づいた。コントロールすべきは、相手に価値観を押し付けたくなる自分の感情なのに。幸せじゃないと決めつけるのは私の傲慢だった。



ある人が言ってた。
「あと100年後には、今この世界に生きてる自分もみんなも、いなくなるんだよ」
すごい言葉だ。

何故だろう。
こんなにも現実的に感じるのは。
こんなに切なくなるのは。
こんなに今を必死に生きたくなるのは。
必死にあの人の幸せを願わずにはいられないのは。

私なりに、関わる人全てに大事な想いはある。だからこそ、相手に幸せになって欲しくて、自分基準で考えた幸せのカタチみたいなものを押し付けてしまってきた。けど、今はそれぞれの場所で、その人なりの幸な時間を過ごしていたらいいな、と思う。

自分が理解できない形であれ、きっとそれぞれの幸せのカタチがある。毎日私も楽しく過ごそう。あの人もあの人も、きっと今日もこの空の下で楽しくやってるさ。




読んでくれてありがとうございます。 ふと思った時に、心のままに書いています。 よかったらまた読んでください。