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自分だから、この世界にできることを考える。〜コロナ禍1年半で自分が学んだこと〜



自分のできることをやる

この世界には
自分の向いている役割がある

2020.はじめての緊急事態宣言から1年半。

10/31ハロウィンで
久しぶりに、たくさんの人が
色んな場所でイベントを楽しんでいるSNSの投稿を目にした。

私自身もこの週末には
イベントを開催していたので
その投稿を見た時に
本当に胸が熱くなった。

それぞれが、それぞれの
できる形で馬を楽しみ、
みんなが
笑顔だった。

去年から本当に
イベント企画をする中で
色々考えさせられた。

もちろん感染拡大を防止するという
意味合いで、イベントの延期や中止を
延々と繰り返すこともしんどかったのだけど
それよりも。
私にとっては、他人と価値観の違いを突きつけられた出来事の方が濃かった。
今までは何をするにしても表面に浮上していなかった、たくさんの価値観が露わになったとき。精神的にこたえた。
今まではみんなが何かを行動に移す時に
深く考えなくても事なきを得てきたのだろう。


たくさんの同調圧力みたいなものが
ぶっ壊れた気がする。

「価値観の違い」
言葉としてはよく聞くけれど
あーーー、こう言う事だな
と本当に味わったのは初めてかもしれない。


特にコロナが流行り始めたときは
世の中がややパニックになってて
こんなにも
“見えないものへの恐怖”っていうのが
人の心を支配するのだとショックだった。

だから、


まず、飲食店の経営と
イベント企画をしている自分としては
今まで周りに集まってくれた人たちが
一斉にいなくなって孤独を感じた。

少し世の中が落ち着き出した頃でさえ
本当に、たくさんの人との関わりの中で自分がどうしていきたいとかに
向き合わざるを得なくなった。
今思えば本当に、ありがたい機会だったと思う。

今までは
なにか企画をやろうと思った時に
自分に賛同してくれる人が集まって、形になってきた。
「楽しそう」という共通だけで成り立っていた。
それが、ただ、作業的にできていたことが
ほんっっとうに、深く考えて
開催する側が共通認識を持っていかないと
だめだ、ということになってきたと言うか。


それまでと違うのは、プラスアルファ
「イベントや企画に対しての開催の価値観」
どこを大事にして、やるのか?
みたいなことがついて回るようになったと思う。


その中で、お互いの感覚や
考えを出し合い、同じ方向を向いて行こうと
誠意をもって向き合うこと。
かなり精神的に鍛えられた。
今までは、簡単に切り捨ててしまっていた自分とは違う価値観を、もっともっと大切にしていくことを学ばせてもらったように思う。


自分とは合わないものは、
だめ、なのではなく
自分と違うフィールドで生きてるのだ。

私は、私がいいと思うもの
私が、得意とするものを
一生懸命世に出せばいい

同じように
私のことを理解できない人たちは
きっと、わたしにはできないことを
この世界に生み出してくれているのだ。


違う価値観を受け入れるということは
私にとっては
そう言う感覚なのだと
この1年半を通して感じている。

コロナだけじゃない。

今までだって
これからだって
何かをしようとすれば
壁に当たることだってたくさんある。

でも
その中で

自分は、この世界に何かを
生み出しているのか

誰を笑顔にしたいのか
自分は楽しめているのか
自分と関わる人は
幸せになってるのか


何がしたいのか
何ができるのか

自分が1番大事にしたい気持ちを
見失わなければ
きっと、大丈夫だと思うのだ。


読んでくれてありがとうございます。 ふと思った時に、心のままに書いています。 よかったらまた読んでください。