「価格」を決めるもの、「価値」を決めるもの
物作りをしていると、よく「作りたいものと売れるものは違う」
というジレンマに行き着く。
周りからもそのような声を聞く。
「自分が純粋に作りたいもの」が、周りの多くの人から価値を認められる、その結果売れる、というのが黄金の道だ。とは言ってもそんな稀なことは自分の身には起こらない。
自分が、いい!と思うものを作りたいけど、私はやっぱり人の目を気にしてしまう。当たり前に必要なことといえば、そうだし、大事なことなのだとはわかっているけれど、気をつけないと「人から見た価値」に重きを置いてしまいがちになって、そっちに比重が傾き、ズブズブと不安の中に埋もれてしまう。最近もそんなことがあった。
が、あることをきっかけに、変わった。
自分に正直に、素直に生きると決めてから、とても楽になった。
以前から、そのようなことを書いている人のブログや本を読んだりしては、ふんふんと納得はしていたけど、こんなに自分が実感したのははじめてだった。それは本当に、“わかっているつもりでやっていなかった”時と、“わかってるかどうかはわからんけどやってみてる”今の方が、格段に心がスッキリしている。誰かに言いたくて、何かに書き留めておきたいなどと思ってここに綴る。あぁ、こうやってたくさんの人が、このスッキリ感を誰かに伝えたくて、書いてしまうのかもと思った。
自分が全てに対して違和感を感じないように物事をを決める、とした時から、全てが明るく見える。人と話すのが楽しい。
人と話すときも心から笑っている。なんでだろ。わかんないけど。
全部が楽しい。
人に対して疑うという気持ちがなくなったからだ。
私の生活の中で、具体的にいうと「疑う」という気持ちは、
大体が自分のカフェのメニューの価格を決める時に発生する。
「このコーヒーはこの値段に見合ってるのか?」
「普通、喫茶店のコーヒーいっぱいはどれくらいの値段なのか、うちの店はこの価格が妥当なのか」
「私が思うよりも一般的な値段は高い。それに合わせて価格を決めると“高い”と言われたらどうしよう」
「安かったら、それの価値と関係なく、なんでもいいという人が来るかも」
など、誰も何も言っていないのに想像だけで“〇〇したらどうしよう”ということばかりを考えて、本意ではない価格をつけてしまったりする。
お客さんから、「思ったより安いですね」と嬉しい気持ちで感想を述べられた時でさえ、『安いんだ・・・もう少し高いほうがいいのかな。』私自身が出すなら、このくらいなんだけどと思って決めた価格に心が揺らぐ。
その場合の「安いですね」は、提供したモノ、サービスがこの金額以上にいいものでしたよ、となぜ素直に受け取れないのでろう。今思うととても恥ずかしい。
自分が、これくらいと思ったからこうした、でいいじゃない。
そう割り切ったら、楽になった。その価格が世間的に高かろうが、安かろうが、私がこの値段で売るんです!と堂々としていればいいと思った。いらない人は別に買わなくてもいいし、欲しいと言ってくれる人にはあげればいい。単純なことだけど。なかなか頭ではわかっていたけど、実際行動に出すにはかなり時間がかかったと思う。
それ以外にも、イベントや企画をはじめ、日常の細々としたことに関するまで全てが、自分の「面白いかどうか」で決める。そこには、もちろん金銭的な問題も絡んでしまうのだけど、生活もあるので致し方ない。でもできれば二の次にしたい。何かを実行するには動機の他にもいろんなことが絡んで来るものだけど、全て削ぎ落とせば、自分が面白いと思ったから、というだけ。純度の高いものを求めたい。シンプルでありたい。
やっぱりそこに行き着くんだな。
読んでくれてありがとうございます。 ふと思った時に、心のままに書いています。 よかったらまた読んでください。