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このろくでもない 素晴らしき世界

2020年、年末、家を片付けていると10年前の手記が出てきた。その時の気持ちや感情をなるべく残したいので、文章も特に直さずそのままの内容を掲載することにした。

「このろくでもない 素晴らしき世界」
缶コーヒーBOSS レインボーマウンテンのCMのキャッチコピー。
これ、大好きな言葉。

本当に自分って、人間て、ちっぽけだ・・・と思う今日この頃。限られた余命を必死に生きてる。全ての人が贅沢に過ごしたいと思ってる。本当、人間てセコくて小さい。私だってそう。お金無い!なんて言いながら毎日仕事に行って、なんだかんだで生きてる。はい、生きてます。

去年、メグを失って、改めて“限りある”と言うことを最近切に実感している。限りあるから、皆頑張って生きてるんやと思う。いつか失くなる。
そう、いつか死んじゃうんだよ。

自分の大好きな人とか大事なものとか色とか光とか形とか、全て何もなくなる。“失い(ない)”ということは本当に怖い。
だから
限りあるこの一瞬を本当に、大事に、一生懸命生きていこうと思う。

私がめぐに出逢ってもう8年。(当時26才)
カラフルですごいリズムですてきなものがギュッとつまったこの時間を証明できるのは、たった一人の私が、私の限られた命を本気で生きる、ということでしかない。

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2008.8.28

昨日、今日と奈良西大寺にある実家へ。
目的は自身のお小遣い稼ぎのため、仕事を手伝いに行くことだった。

母と弟とテレビを見ながらのほほんと作業をし、夕食をため、私は居間でごろごろ・・・
7:00『ヘキサゴン』(当時のバラエティ番組)見ながら「あー 最近クイズ番組多いよな・・・」と思いながらも画面の中で動く平成のバカ代表たちと共に頭を悩ます。
知らないうちにうたた寝していた。食後、居間でごろごろするのは「至福」とまで言うだけあり(母の名言w)

うとうと もうろうとしながら、ふと考えた。今、26才。
20年先、なんて遠い未来ではない。その20年後、こんな時間や空間はどうなってるのか?当たり前の家の風景、居間の空気、空間?ごろ寝したら、ふと見上げる台所の机のあしとか、テレビ見ながら洗濯物をたたむ母の姿とか。晩酌しながら、テレビとごろ寝する私を交互に見、「ダイコン足」とバカにする父の笑み。
この当たり前であたたかくぬるい記憶が多分現実から・・・というか必ずいつか失くなってしまうものだ、ということにふつふつと気づいてゆく。

涙が出た。
家に帰れば、私は、このひょうきんな父とお茶目な母の、やはり子供であり、両親はいくつになっても私を心配する。3人兄弟の長女でありながら、いつも突拍子もない行動を(しかも人生の節目、節目で)する私を心の底からハラハラしたり、あるいは期待しながら見守っていたくれていたんだろう。

いつも心配ばかりさせ、しかし努力家なところはきっと誰よりも知っているから、本当は応援してくれている。わかってます。
「大人になった」と実感したことは一度もない。
「子供でなくなった」と思う。

私が独立騒動(笑)を今の夏にした時、母は現実的だった。比較的、勢いに任せて行動した私を正面からぴしゃりと音を立てるように意見された。
「先立つ物も自分で用意できずに、突っ走っても失敗するやろ」
あの時、本当に母が止めていなければ、多分私は本当に取り返しのつかないことをしていたと思う。一方、父は母に加勢する傍ら、ひっそりと行動していた。

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南森町にある、歴史ある某喫茶店。父の古くからの友人が経営しており、私も幼少の頃からたびたびお世話になったことがある。マスターは今でも大都会の梅田のど真ん中から店を始め、現在に至る(最近知った)

父は、「店をやる」ことについて、直々に話を聞きにいっていたらしい。しかも私が見つけてきた物件のある場所までわざわざ自分の足で行き、人通りや立地条件などを見に行ってたと聞いた。おどろいた。

この夏、初めて子供じゃなくなり、成人した私は両親と向き合った。真剣に話をした。今まで自分のことについて、ささいなことも口にしなかったせいか、言葉でうまく自分の考えを伝えられなかった。必死だった。
両親はそんな私の言葉を理解しようとしてくれた。
「そら周りの人らは単に応援するに決まってるやろ。他人やからな。せや、他人事や。いいことしか言わへんのや。」
心に刺さった言葉。リアルにそう思った。納得。
「お母さん、お父さんはな、他人じゃないんや。あんたが成功しようが失敗しようが関係ないとは言われへんねんで。」
こんなに自分の本音をぶつけたのは初めてだったのもあり、このセリフとはウラハラに込められた気持ちが一人で突っ走ってた私の何かをプツンと切ってしまった。
「お母さん、お父さんは、何かあってもあんたの親やから。」

それ以来、今まで本当に1年に2、3度しか帰らなかった実家に、月に1、2度帰るようになった。
限られたぬるい空気を、今はまだ吸っていたい。
いつか失くなるかも・・・いや、必ずこの場所は失くなってしまうから、
私は小さい人間やけど、両親にまたあたらしい“いつもの風景”を作りたいと思う。

今、自分の夢に向けて必死だから、たまに家に帰り、同じ時間を過ごすことしかできない。それが精一杯だけど

自分が成功して、金持ちにならなくてもいい。
稼いだお金で、少しでも何か心の支えになるものを買えたら、と思う。

やっぱ世の中お金ですから。痛いほどわかってるし。お金が世の中で一番すごいものとは思わないが、すごい価値のあるものを手に入れる手段には欠かせないからね。

このこっそりしたためた計画が、いつか私のひょうきんな父と、おちゃめな母のカップルの宝物になりますように。


      MIU おそらく当時26才の手記より


読んでくれてありがとうございます。 ふと思った時に、心のままに書いています。 よかったらまた読んでください。