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歌うわたし
私は、ピアノを弾きながら歌う。
昨日の夜、おそらく生まれて初めて、自分の外側にはりついていたもを全部剥ぎ取り、演奏した。
今までも、何度も人に聞いてもらったり、全力で練習したり、演奏してきた。
つもりでいた。
昨日やってみて初めて、気づいたことがある。今までは「どう見えてるか」を拭い去れず、演奏者を演じていたのかもしれないということだ。この日のことを忘れないように、書き残したいと思う。
昨日は、坂爪圭吾さんという人が、ある会を開いてくれて、私もそこにいた。その場に居てる人たちは、自分というものに真剣に向き合っている人が多かった。色々なことに触発されて、みなさんの会話の中に、居ながら、考えた。
ある人が言うには、人前で音楽を演奏するときは『これが、私です』と、すべてを差し出すように演奏をしているという話を聞いたりした。わたしにはその感覚がよくわからなかった。一生懸命やっているだけでは何か違う。そんな気がしていた。
いろんな話が飛び交う中で、自分はめちゃくちゃ中途半端だ、という感覚になった。自分の作った曲や、自分が歌ってる歌には、どこにも自分が入りきってない気がしていた。
わたしは、一体なんだ?
どこにいてるのか?
そんな思いが、頭からつま先まで、ぐるぐる駆け巡り、考えすぎて、ヘロヘロになっていた。
「あの、今の気持ちを言っていいですか。」と言ったっけ。
どう切り出したのかもよく覚えていないけど、頭の中、いや、私の全身を駆け巡っている考えを、ひとまず伝えた。
そのまま、みんなで歌う流れになり、歌い終わった後に
私も、自分の曲を、そのみなさんの前でやらせていただく機会を得た。
自分の想いを伝えた上に、それを知ってくれている人たち全員が、本気で聞こうとしてくれた。真剣に、私の音楽を、私を、見てくれている。
そう感じたら、
「自分がどうなっても、出してもいいんだ。」
と思えた。壊れても、いい。
だから、一生懸命、自分を込めることにだけ集中した。
終わったら、全身が震えていた。
私に対して、みなさんが真剣に感想を言ってくれた。
今、時間が経ったから、それを本当にありがたいと思えている。
が、そのときは正直、どういう顔をしていいのかわからなかった。
今まで、演奏をしていても、外側に張り付いていたものがあったのだと思う。だから、感想を言ってくれた人に対しても外側の自分が、対応していた。
本気で、何もない、MIUのままの私は、
感情をどうやって出したらいいのか、わからなくなっていた。
ある人は、こんな言葉をくれた。
「自分に真剣に向き合ってるからこそ、『中途半端なんじゃないのか』と思えるんだと思う」
だから、それでいい、と言ってくれた。
何かが、私の中で、許された。
その夜、ラジオ配信をした。
色々その日思ったことを、坂爪さんと言葉で話している。
その時に、私の中に深く刻まれた彼の言葉がある。
「歌うMIUさんは、歌った時だけしか見ることができない」
この言葉は、本当に嬉しかった。字面より、私にとってはめちゃくちゃ響く意味を含んでいた。
私から出る音に、素直に自分をのせれそうな気がする。
読んでくれてありがとうございます。 ふと思った時に、心のままに書いています。 よかったらまた読んでください。