靄(もや)の晴れるその瞬間

少し陰った空模様の下、ふらふらと、でも少しイキイキと歩く、仕事を終わらせたその帰り道。
上司に怒られたことや、失敗してしまったことを思い出してしまい気持ちが少し疲れたので、お気に入りの小粋なカフェに寄った。

いつもの席に、座り、いつものようにカフェラテを頼む。
注文したものを待つ間、少し暇なので、鞄から書類を出そうとしたが、やめた。気分転換で来たのにそんなことをしたら、私の気分も、なによりせっかくのお店の雰囲気も台無しだ。
この心地よい空間に仕事などのピンっと張りつめた緊張感は不釣り合いだ。
「ご注文のカフェラテになります。」
店員の優しい声に、「ありがとうございます。」と返し、私はそれを口に含んだ。

それからほのかな甘みと少しの苦みのあるゆったりとした時間を過ごした。
時計のカチリ、カチリという音がとても心地よく、微睡の中を彷徨っているとそこへひょろりと一人の友人が現れた。
私は今、最高の環境にくつろいでいたのに、まったくもって空気の読めない奴だ。

「やぁやぁ、お嬢さん。隣に座らせていただいてもよろしいかい。」
この男、修はどうしてこうも軽薄な立ち振る舞いなのか。
「どーぞ。」
「うわ、不機嫌そうな声。どうしたなにかあったの。」
「あなたが来たから不機嫌なのさ。」
「それは、なんとまぁ。ご愁傷様で。」
そう言い、私の顔を眺めてはにこにこと楽しそうにしている。
私はまた一口カフェラテを口に含んだ。
「そういえばご飯を食べに行くという約束を君にとりつけていたね。今晩は空いていらっしゃるだろうか。」
「あら、そんな約束をしていたかしら。まぁ、行くのだったらパスタがいいな。」
修は人差し指を口にあて、あざとくうーんと唸っている。
悔しい、その顔が少し可愛いと思ってしまった。
「そうだ。帰りに“ボッティチェリ”で晩メシを食べよう。あそこのスパゲッティ・ボンゴレが絶品なんだ。」
「……あのぅ、ニュルッとATMに寄らせてもらってもいいかな?」
「大丈夫。給料日前の懐具合なんざお見通しなんだよ。今日は俺のおごり……って、ニュルッとってなんだ? ニュルッとって?」
「渾身のボケよ。わらいなさい。」
「それは、笑わないとなぁ。」なんて言いながら修は優しく微笑んでいた。
その顔にどうしても愛おしさを感じてしまうのだ。

そうだ、少し修に悪戯をしてみよう。
「ねぇ、あのランプ見てみてよ。」
「どれのことだよ。」
よし、横を向いてくれた。
「あの緑のランプ綺麗だと思わない。」
「そ・・・」
修がこっちを向いた瞬間、私は唇を重ねた。

それもとびっきりしっとりと、優しく。

「そっ…それじゃあ行こうか。」
「うん、行きましょう。楽しみだわ。」
修は顔を真っ赤にしてこちらの方も見れないでいる。
まったく、可愛いものだ。

そうして私たち二人は“ボッティチェリ”へと足を向けた。
小さな樽の置いてあるフランス料理店へとね。


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「そうだ。帰りに“ボッティチェリ”で晩メシを食べよう。あそこのスパゲッティ・ボンゴレが絶品なんだ。」

「……あのぅ、ニュルッとATMに寄らせてもらってもいいかな?」

「大丈夫。給料日前の懐具合なんざお見通しなんだよ。今日は俺のおごり……って、ニュルッとってなんだ? ニュルッとって?」

byしるてっく

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