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とある少女の逃避行

時計の針

その少女は、好奇心旺盛だった。
しかし、とりわけ明るい性格というでもなくむしろ物静かに暮らすことを望
んでいた。
けれど淡々と毎日を消費するだけの日常に飽き飽きとするようになる頃。

「明日なんて来なければいい」と思いながら、布団を被り真っ暗な闇の中で光る画面を見つめる。
憧れ、嫉妬、憂鬱、不安、孤独感。いろんな感情が込み上げてきてはどうにかそれらを沈めるための言葉や方法を必死で探す。
自分のことを理解してくれる人は、彼女の周りにはいなかった。
むしろ理解されることを拒んでいた、という方が近いのかもしれない。

少女は思う。
本当のわたしはどこにもいない。心の底から思ったことを素直に話せる人は限られていて、本当のことを言ったら嫌われるのではないかと恐れる。
人によって話す内容だって変わることなんて当たり前のようにあるのだから、自分の全部を共有できる人なんてきっと、いないのだと。

好みが似ている人は探せばいくらでもいるのに、だからと言って人間的な波長が合うかどうかというのは別問題だ。
心のどこかで”苦手だ”と思ってしまったら最後。
言葉にはしない「ありがとう」を言いつつ、別れを告げる。
これの繰り返し。次第に彼女が友人と呼べる人は少なくなっていく。

どこでずれていってしまったのだろう。
その答えは誰も知るはずがない。

わたしがわたしでないような感覚。
家、学校、バイト先、通学しているとき。体は変わらなくとも、その場面ごと変わっていく。
少女は混乱する。
「どれが本当のわたしなの?」

そしてまた、光る画面に向かって飛び込んでいく。
それは少女を裏切らない。誰の干渉を受けることもない。
誰にも知られることのない逃避行。
世の中には知らないことがたくさんあると思うと彼女の好奇心はとてつもなく揺さぶられた。
初等部の頃、学校にある図書館の本を全部読んでみたいと思っていた時期を思い出す。
そんな中、目に止まったのは非科学的だがとても興味を惹かれる文字。

『異世界への行き方』

元々、現実逃避のためにサイバー世界の海を彷徨っている彼女にはうってつけだった。こんな現実とはさよならしたい。
命を絶つための様々な方法が闊歩している時代ではあるが、どれも確実性はない。
痛い、苦しい、失敗した。あげく、後遺症が残ることさえある。
一瞬で、楽に。理想とする方法は法律で、国で、認められていない。
こんなに苦しい思いをしている人間がいるのになぜ許されていないのかと何度憎んだことか。

そして、少女の願望は「消えてしまいたい」に形を変えた。

今いる世界から自分だけいなくなってしまえばいい。元から自分なんて居なかったことにして人生をやり直したい。
そして、彼女はすぐにできそうな方法を選び、実行したのだ。

指定の大きさの紙にペンででマークや文字を書き、枕の下へと忍ばせる。
「起きたら紙がなくなっていますように」
そう思いながら、瞼の裏の真っ暗闇へと落ちていった。

朝日が差し込み、変わり映えのない景色が広がる。
昨夜、枕の下に置いた紙がなくなることはなかった。
そんなものだよな、と安堵と絶望が入り混じった言葉をつぶやく。

その代わりに彼女が書いたものではない紙が置かれていた。
「だいじょうぶ?」
拙い文字で、誰にも吐露したことのない少女の気持ちをまるで知っているかのように語りかけてくる。
簡単に異世界にも行かせてくれないなんて。
意地悪な天使が残したメッセージは、止まるはずだった少女の時計の針を進ませた。


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