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懐かしのディスコ・ミュージック名曲集(前編)~ヴァン・マッコイ、ジンギスカン、ボニーM、エラプション、バンザイ他31曲

ディスコブームの光と影

1960年代にジャズ喫茶やゴーゴー喫茶で流行っていたモンキーダンスやゴーゴーダンスを経て、1970年代に入ると新宿や六本木に「カンタベリーハウス」、「ツバキハウス」「メビウス」などの大規模ディスコが開店。1975年、ヴァン・マッコイの「ハッスル」の大ヒットをきっかけに世界的なディスコブームが日本にも波及します。

その人気が頂点に達したのが1978年。ジョン・トラボルタの出世作、映画『サタデーナイト・フィーバー』(1977)が公開されて大ヒット。空前のディスコブームが巻き起こり、ごく普通のパブが翌日にはディスコ店に豹変という現象が頻発し、あっという間に全国に数千のディスコ店が乱立しました。

ビージーズ「恋のナイトフィーバー」(1977)

10年前のGSブームの時がそうだったように、音楽業界もこのブームに乗り遅れまいと各社競ってディスコ関連曲を乱発。ハードロックバンドの「キッス」から、果ては三橋美智也までヒットチャートもディスコ一色に塗りつぶされるような有様を呈しました。

「しかし、奢れる○○久しからず」で(ちょっと意味が違うかな?)この爆発的ブームもそう長くは続かず、ある事件をきっかけに日本では突然終焉の時を迎えます。(これもGSそっくり)

空前のディスコブームの熱狂に頭から冷水を浴びせたのが1982年に発生した「新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺人事件」。ディスコ通いしていた14歳の女子中学生二人が男に殺傷されるという未解決の事件です。

少女たちが男と知り合ったのはディスコではなく近くのゲームセンターだったものの、殺された少女が首とアキレス腱を切られていたという残忍性が世間に強く印象付けられ、「ディスコは危険な所」「不良の溜まり場で犯罪の温床」というディスコに対するバッシングが一気に高まりました。

世論の強い批判を受けて0時以降の深夜営業を禁止する「風営法」が施行されるに及んで、ディスコブームはあっという間に雲散霧消。数年後のバブルの熱狂と崩壊を彷彿とさせる出来事でした。

その後、1980年代末~90年代初頭の「マハラジャ」、「トゥーリア」、「ジュリアナ東京」などの高級ディスコ店を中心とした「バブリー・ディスコブーム」が起きますが、ことらもバブル崩壊とその後の経済不況の深刻化によってあっけなく終焉。

ディスコという名称自体も廃れて「クラブ」に変貌して行きました。


いつもの前置きはこの位にして、ここから1970年代~80年代ディスコミュージックの名曲を聴いて行きましょう。

バンザイ「ビバ・アメリカ」(1976)

「ビバ・アメリカ」はフランスのスタジオ・ミュージッシャンを集めて作られた曲なので、バンド自体は出て来ません。アメリカ建国200年を記念してリリースしたらしいですが、「悪の帝国」「戦争国家」という一面もある国を「アメリカ万歳」と手放しで絶賛するのはちょっとどうかと思うのですが。歌詞はともかく、マイナー調の哀愁を帯びたメロディが受けて日本ではヒットしました。                                
映像のダンスでは、当時のディスコで流行っていたお尻をぶつけ合う「バンプ」も披露していますね。そのものズバリで、コモドアーズの「バンプ」という曲もありました。

ヴァン・マッコイ&スタイリスティックス・オーケストラ「ハッスル」(1975)

1970年代半ばからのディスコブームを牽引した世界的大ヒット曲。    今では完全に死語ですが、「ハッスル」という言葉が日本で大流行。「猛烈に頑張る」という意味で使われ、世界から「エコノミック・アニマル」と呼ばれていた当時の日本社会の風潮にぴったりだったのでしょう。     映像がなぜ、「Perfume」なのかはよくわかりませんが。

ヴァン・マッコイとスタイリスティックス・オーケストラ「ディスコ・ベイビー」(1975)

「ハッスル」に続いてこの曲も大ヒット。ディスコでもよくかかっていました。バンド名がやたらに長いです。

オリエンタル・エクスプレス「セクシー・バス・ストップ」(1976)

筒美京平が作曲した和製洋楽。曲の途中に尺八のような音が入っていたのは、そういう訳だったのですね。そんな事情は知らないので、当時はみんな外国の曲だと思って踊っていました。

ホット・ブラッド「ソウル・ドラキュラ」(1976)

ホット・ブラッドは、「バンザイ」と同じくフランスのスタジオ・ミュージッシャン・グループという事になっていますが実態不明で、一時は日本発の曲との噂さが流れたこともありました。               この曲の大ヒットを受けて「ソウル・フランケンシュタイン」、「ドラキュラ・パーティ」などの怪奇ディスコ路線の曲を続けて出しましたが、いずれも不発に終わりました。

ホット・ブラッド「怪傑!ソウル・キャット」(1976)

「ソウル・ドラキュラ」に続く第2弾ですが、曲の出来はまずまずだったもののヒットには至らず。ディスコ音楽にしてはテンポが速すぎて、ステップダンスには不向きだったのではないでしょうかね。

スタイリスティックス「愛がすべて」(1975)

米国では最高位51位と振るいませんでしたが、英国チャートでは3週間トップを続ける大ヒットになっています。スタイリスティックス・オーケストラとは関係ありませんが、アレンジャーはヴァン・マッコイです。

ホット・バター「ポップコーン」(1972)

シンセサイザーによるアレンジが当時としては斬新で、世界的に大ヒット。世界中で800曲以上のカバーがあるそうです。

ジンギスカン「ジンギスカン」(1979)

ジンギスカンは、珍しいドイツのグループ。「ジンギスカン」は世界的に大ヒットし、日本でもオリコン1位になっています。           ダンスステップが簡単で、お年寄りから子どもまで誰でも踊れるため小中学生にも人気があり、課外活動などに取り入れた学校もありました。

ジンギスカン「めざせモスクワ」(1979)

ジンギスカンのシングル第2弾で、こちらもヒットしています。1980年のモスクワ五輪前年のリリースという事で「めざせモスクワ」(原題はMoskau)という題がつけられたのでしよう。                   しかし、モスクワ五輪直前の1979年12月にソ連軍がアフガニスタンに侵攻。これに西側諸国が激しく反発して、一斉に五輪参加をボイコットするなど政治問題化した大会でした。ドイツはボイコット組でしたが、この曲が縁でジンギスカンはモスクワ五輪に招待されています。            映像は、2015年モスクワでの大規模ライブ。ステージも超豪華で、おカネがかかっています。

ボニー・M 「怪僧ラスプーチン」(1978)

ボニー・Mの7枚目のシングルで最大のヒット曲。現在でも一部のSNSでは、根強い人気がありす。最初に聴いた時、「はて、どこかで聴いたような」と思ってよく考えたら、アーサー・キットの「ウスクダラ」(日本では江利チエミがカバーして大ヒット)によく似ているなあと。両曲ともトルコ民謡を元にして作られているので、関連があるのかもしれません。

グレゴリー・ラスプーチンはロシアのニコライ2世に取り入って宮廷や政治を牛耳った怪僧。ニコライ2世に誤った考えを吹き込みロシア帝国を傾けたとして、第一次世界大戦真最中でロシア革命前年の1916年12月、反ラスプーチン派によって暗殺された人物。                   神秘主義的かつ奇怪な行状で皇帝を操り、最後は暗殺されると言う劇的な半生が映画にはうってつけで、彼を主人公にした映画がこれまでに4本も作られています。

江利チエミ「ウスクダラ」(1954)

当時の江利チエミの凄まじい人気ぶりがよく分かる音源ですね。

ボニー・M 「サニー」(1976)

ボビー・ヘブの全米ナンバーワンヒットのディスコカバー。

元歌は、こちら。                          ボビー・ヘブ「サニー」(1966)

                                                                                                                               エラプション「恋の片道切符」(1979)

ニール・セダカの大ヒット曲のカバー。                最初の頃、ボニーMとよく似ていて何だか区別がつかないなあと思っていたら、プロデューサーがボニーMと同じ人でした。エラプションは第二のボニーMとして売り出されたそうなので、なるほどです。         米国ダンスチャートでは30位止まりでしたが、当時のソ連ではニール・セダカよりこちらの人気が高かったようです。

ニール・セダカ「恋の片道切符」(1959)

哀愁感満載のメロディや間奏が当時の日本人の感性にぴったりマッチして大ヒット。多くの歌手にカバーされています。

平尾昌晃「恋の片道切符」(1960)

映像は、篠田正浩が監督した松竹ヌーヴェルバーグ映画「恋の片道切符」(1960)の一場面。出演は小坂一也、牧紀子、平尾昌晃、鳳八千代他。   この歌唱シーンは、映画用に新規に録音し直したもの。カバーレコードとは全く異なったブルージーなアレンジですが、ロカビリー全盛時代の雰囲気はそれなりに伝わってきますね。サックスの使い方が面白いです。

エラプション「悲しき街角」(1980)

ディスコミュージックはカバー曲が非常に多いですが、誰もが知っている有名なオールデイズを取り上げるのも売るためのひとつの戦略です。    こちらもその中の1曲で、1961年にデル・シャノンがリリースした全米ナンバーワンヒットのカバー。

デル・シャノン「悲しき街角」(1961)

日本では飯田久彦がカバーして、こちらも大ヒットしています。     今聴いても、間奏のキーボードが素晴らしいです。

ドナ・サマー「ホット・スタッフ」(1979)

ドナ・サマーの代表曲で、全米ナンバーワンに輝いています。

スリー・ディグリーズ「ソウル・トレインのテーマ」(1974)

1974に音楽番組『ソウル・トレイン』のテーマソングとしてリリースされ、ディスコ音楽としては初めて全米チャート・ナンバーワンになった曲です。この曲の次にリリースした「天使のため息」は世界中でヒットし、日本でも前作同様オリコン洋楽チャート1位を獲得しています。            
1971年にから35年間も放送された『ソウル・トレイン』はソウルミュージック番組の草分け的存在でした。日本でもその一部がテレビ東京から放送されていますが、ゲストとしてYMOが出演していてびっくりします。

レイフ・ギャレット「ダンスに夢中」(1978)

全米では10位止まりでしたが、日本ではTVCMに起用されてアイドル人気が沸騰。「ダンスに夢中」は、その端正な甘いマスクと曲の良さで日本でも大ヒットしました。来日してTVの音楽番組にも出演しましたが、(口パクではない)ライブだと歌唱力のないのが丸わかりでちょっとがっかりでした。

アース・ウィンド&ファイアー「ブギー・ワンダーランド」(1979)

5週間に渡って全米チャート1位にランクイした大ヒット曲。         
作詞作曲者のひとりであるアリー・ウィリスが映画『ミスター・グッドバーを探して』(1975)にインスパイアされて作られた曲と言うのは意外でした。ダイアン・キートンが主演した映画は、昼は真面目なろうあ学校教師、しかし、勤務が終わると豹変して夜な夜な男漁りに繁華街に繰り出し、そのために破滅していく女性教師の悲しい人生を描いた問題作(実話だそうです)。      
この曲の中で男女が夜な夜な繰り出すのは「ブギー・ワンダーランド」という架空のダンス・フロアなので安心ですが。

エミリー・スター・エクスプロージョン「悲しきバラライカ」(1980)

エミリー・スター・エクスプロージョンはその名の通り、ベルギー出身のエミリー・スターをリーダーにしたディスコソング・グループ。      ロシア民謡的な哀愁を感じさせる「悲しきバラライカ」は日本における最大のヒット曲。と言っても中ヒット程度でしたが。                        
デビュー時は男性一人を交えた4人組。1980年に東京で開催された「世界歌謡祭」参加のために来日した時は、女性3人組になっていました。この時、日本のテレビに出演して、この曲や「サンチァゴ・ラヴァー」など数曲を披露しています。

 こちらは、榊原郁恵によるカバー。                


エミリー・スター・エクスプロージョン「サンチァゴ・ラヴァー」(1979)

                                  エミリー・スター・エクスプロージョン「メリー・ブラウン」(1980)

前記「世界歌謡祭」に参加した時の映像です。

                                  エミリー スター ・エクスプロージョン「ベイビー・ラブ・ミー」(1980)

                                  エミリー・スター・エクスプロージョン「カサノヴァ」(1982)

                                 ヴィレッジ・ピープル「Y.M.C.A」(1978)

発売当時から「ゲイ」グループが「ゲイ」をターゲットに「ゲイ」を歌った曲を売り出したとして物議をかもしていましたが、「全世界で1000万枚を売り上げたんですけど、それが何か?」といったところでしょう「Y.M.C.A」は米国では「ゲイ」のスラングなのだそうです。            日本では西城秀樹が「ヤングマン」としてカバー、大ヒットしたのは皆様ご存じの通り。

ヴィレッジ・ピープル「イン・ザ・ ネイヴィー」(1979)

歌詞が「海軍勧誘ソング」そのものなので米海軍もその気になって海軍PRソングへの採用を検討しましたが、グループの「ゲイ・イメージ」が強すぎると見送りになったそうな。

サンタ・エスメラルダ 「悲しき願い」(1977)

日本でも大ヒットしたアニマルズのカバーです。

後編ではディスコブームに影響を受けたり、積極的に取り入れたりした歌手やバンドを取り上げます。

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