巨悪は眠らせない 検事総長の回想 伊藤栄樹 朝日文庫

画像1

今年の春から初夏にかけて、新型コロナウィルスの感染拡大以外で一番世間を騒がせたのが、「黒川問題」だろう。

日本という国は三権分立のはずなのに、政治家が検察人事に、あからさまに首を突っ込み、自分たちの都合のいい人物をそのトップに据えようとする? そんなのアリなの? しかも、国家公務員法、さらに検察庁法を改正して? と、びっくりした。

「黒川問題」は、当の黒川拡氏が、緊急事態宣言下であるにも関わらず、親しい新聞記者と賭け麻雀を複数回行っていたことが発覚し、引責辞任、という「なんだかなぁ…」な結末に終わった。
(これだって、高額な退職金が支払われないよう、厳しい懲戒処分を下すべきではないのか?という世論をよそに、甘い処分で幕引きされたのは、納得いかないのだけれど)

そんな騒動が一段落した頃、教文館の平台で目に止まったのが、伊藤栄樹『巨悪は眠らせない 検事総長の回想』だった。
手に取ってみたら、カバーが二重にかかっている。ん???と思い、カバーをめくってみたら、秋霜烈日(検察官バッジの形)があしらわれた通常のカバーが現れた。村山治氏(ジャーナリスト)の解説を新たに加え、2020年7月30日に「緊急復刊」、ということだった。

ロッキード事件やダグラス・グラマン事件といった、総理大臣を筆頭とする大物政治家の不正を暴いた東京地検特捜部という組織は、正義のヒーローに見えた。伊藤栄樹という検察官の名前と顔も、うっすらと記憶に残っていた。

あの頃の、巨悪に立ち向かっていた検察官は、今の検察官と何かが違うのか? 根底にあるものは変わらないのか? そんな問いへのヒントがみつかるかも?という興味から読み始めた。

伊藤氏が平検事として東京地検特捜部で担当したのが、造船疑獄事件だった。その捜査の過程で出会った、さまざまなエピソードがまず、5話にわたって綴られている。
土光敏夫経団連会長との出会い、赤坂芸者を捜査のために”総揚げ”して事情聴取した話、捜査方針をめぐる主任検事と検事総長との意見の食い違いによって生じた結果への思い、そしてその後の伊藤氏の検察人生に多大な影響を与えた「指揮権発動」について。

「指揮権発動」について伊藤氏は、

昭和38年に『逐条解説 検察庁法』を出版。その中で、終局的に法務大臣の指揮権発動と意見が対立した場合の検事総長のとるべき態度として、「従う」「従わない」「辞任する」の三つの対応が考えられる、と説いた。
   解説 村山治

しかし、83年2月の衆院予算委員会において、

石井一衆院議員は「検察の独りよがりの解釈だ」などと追及。法務省側は「個人的な著作物での見解だ」といなしたが、秦野法相の人事介入とも連動した検察側への揺さぶりだったのかもしれない。
   解説 村山治

86年8月に新版を出版し、その中では「法務大臣と検事総長の意見が食い違ったというような場合に、検察権を代表するものとしての検事総長は指揮が違法でない限りこれに盲従する態度をとることは許されないものとしなければならない」と、記述を改めた。

これがその後、事件捜査などで政治と対峙するときの検察側のスタンスのベースとなり、今に至っている 。
   解説 村山治

他にも、テーブル・ファイヤー事件、警視庁防犯課汚職事件、売春汚職事件、製糖会社事件といった、汚職や会社犯罪の捜査でのエピソードの中には、犯罪者のなんともマヌケなミスや、人間味が感じられる逸話も紹介されている。

また、法務省時代に関わった交通切符制度の創設、裁判所や検察庁の統廃合、東京地検次席検事時代に起きた連続企業爆破事件や日本赤軍によるハイジャック事件、東京高検検事長時代に関わったロッキード事件の控訴審などについての回想も、当事者でなければ語れないことばかりで、興味深い。

これらが書かれた当時の「今だから書ける」秘話も明かされている。
それは、ノンフィクション作家の本田靖春氏が、名誉毀損容疑で異例の逮捕をされた先輩について書いた『不当逮捕』。その事件の真相が明かされているのだ。そのことについて、解説で村山治氏は、

伊藤氏が、記者逮捕につながった偽情報の一件を死の間際に明らかにしたのは、結果として、その記者を傷つけたことへの懺悔とともに、後輩検事たちへの戒めも込めたのではないか。
ときに検察権力との距離感が怪しくなりがちなマスコミ側にも「油断すると、君たちひどい目に遭うぞ。権力監視の本来の使命を忘れるな」と忠告しているようにも受け取れる。

と述べている。

伊藤氏が検事総長就任会見で表明した
「悪いやつを眠らせない」
「被害者とともに泣く」
「うそをつかない」
という3つの言葉。
これは、伊藤栄樹が、自らを律し、後に続く検察の仕事をする後輩たちに向けて発したメッセージだった。

森・加計・桜。さらに河合夫妻の選挙違反容疑、IRをめぐる贈収賄事件。
etc.etc.
果たして、今、検察の人々は、こうした「巨悪」に正面から取り組もうとしているのか?
政治の介入を排除する覚悟はあるのか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?