すき焼きを浅草で 平松洋子 画・下田昌克  文春文庫

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ある一時期、平松洋子のエッセイを熱心に読んでいた。
いわば「趣味の自炊」にはまっていた頃、レシピ本を探していた本屋さんの料理書の棚で出会ったのが、平松洋子だった。

『忙しい日でもおなかは空く』、『世の中で一番おいしいのはつまみ食いである』『おいしい日常』『夜中にジャムを煮る』『おとなの味』『平松洋子の台所』『買い物71番勝負』『買えない味』『おんなのひとりごはん』『おもたせ暦』など。結構読んでるな、とこうして書名を並べてみると、思う。

レシピ本じゃなくて、食にまつわるエッセイ。でも、その中に時々作り方も出てくる。食べることだけでなく、台所道具について、器について、そういう新しい世界を見せてくれたのが平松洋子だった。

ちょうど、イラストレーターと組んだ「週刊文春」連載の書籍化がスタートした頃から平松洋子の本を読まなくなったのは、自分の芸能への興味が歌舞伎を起点に能、文楽、落語へと広がっていったからだろう。

所用で半蔵門に行くと、時間が許す限り寄るのが駅の真上の山下書店。国立劇場に近いため、伝統芸能コーナーがこの規模の書店にしては充実していた(最近はちょっと縮小気味な気がする)からだけれど、最近は、文庫コーナーを巡回するのが主たる目的になっている。

文春文庫の棚の平台に一連の平松洋子のシリーズが並んでいた。『すき焼きを浅草で』。すき焼き!

すき焼き、というと最近の私はツボちゃんを思う。「本日記」や「酒中日記」で、週刊『SPA!』の文壇アウトローズ対談の年末恒例行事が、毎年違うすき焼き店ですき焼きを食べることだったから。

手に取って、目次を見ていくと、最後に「ひさしぶりの『富士日記』」! 
ちょうど『考える人』で武田百合子を読んだところだった。
こうして、ツボちゃんに背中を押されて、ひさしぶりの「平松洋子」してみよう、と決めた。

姫野カオルコが、巻末の解説で「おいしいものをおいしそうに書くのは、きわめて難しい」と書いている。
そうそう、おいしいものにさほど執着していない私のような読者にとっては、なおさらだよね、と思いながら本文を読み始めると、平松洋子の食べ物の描写、その比喩、特に擬音の豊かさに、食欲を刺激される。

例えば。

あっと声が出たのは、えんえん十時間におよぶ夜通しの釜炊きに立ち会ったときだった。(中略)
みちみち、みちみちみち……。
異様な音を立てて煮詰まってゆく様子には、荘厳な迫力があった。いのちの交換の音だな、と思った。
 「まんぷく応援団」
口のなかで、しゃきしゃき、じゃきっ、緑の音がなる。噛みでのある根っこ、もちっとしたそば、出汁の芳しい風味。蕎麦の最後の一本まで、せりが全力で伴走してくれる。
寒風のなか地下鉄に乗っても、せりの香りが渦巻いていた。
 「せりそばを銀座六丁目で」
油揚げカレーの美味しさは、どんなに熱を入れて語っても、相手がたいてい半信半疑の色を浮かべるので、なかなか伝わりにくい。
(中略)
油揚げの実力にうなる。大きな口を開けて頬張ってごらんなさい。とろんと煮えたしどけない熱い一片のなかから、カレーがじゅぶじゅぶ〜と滲み出てくる。
このじゅぶじゅぶ感こそ、油揚げカレーの醍醐味。ひとひらの油揚げのなかに潜む無数の気泡の意味に、はっとさせられる。油揚げは、煮汁やうまみを吸い込む役割を果たしているのだが、それだけではない。柔らかいのに、しこっと歯に当たる抵抗感。これがまたいいんです。肉でもない、野菜でもない、油揚げだけの独特のコシ。軟弱に見えながら、なかなかしぶといカレーといえましょう。
 「油揚げカレー」

食を通して世の中が見えてくる。
ちょっと前、ニュースを賑わせていた、南北朝鮮問題。韓国が太陽政策をとり、両者が歩み寄ったその日に、こんなことがあったのか!というのを教えてくれる、「平壌冷麺を板門店で」

コンビニやスーパーの24時間営業の見直しが話題になっていたけど…と思っていたら

「ここ、日本で初めての二十四時間スーパーよ」
昭和二十一年開店の「丸和」です。市場とスーパーマーケットが共存共演しているなんて、すばらしい。
 「フルーツカクテルを小倉で」

令和2年7月豪雨で、河川の決壊のニュースを見た時に、あれ、ここって…?と思っていたら、平成30年7月の西日本豪雨でも江の川の決壊で被災していた、島根県美郷町のことが書かれていた。しかも、そこは

鳥獣害対策に長年悩まされてきた山あいの小さな町が、農家自ら狩猟免許を取得して駆除に乗り出し、獣害は激減。しかも婦人会はイノシシの革を生かしてクラフト作りに挑戦。生産者組合から発展した会社組織「おおち山くじら」は、イノシシ肉を販売普及する機体の地域ブランドだ。イノシシを撲滅するのではなく、共生をめざす取り組みは全国から注目されているが、昨今のジビエ進行ムードには踊らされんぞ、持続可能な活動は住人が主体になってこそ、と地道な挑戦をつづける美郷町から目が離せない。
−−−と、そんな最中の豪雨被害だった。すぐそばを流れる一級河川、江の川が猛烈に水位を上げ、食肉処理場に流れ込んだ土砂によって一・五メートルの床上浸水。機材の全てが破損・流出し、浮力で浮いた箱型冷凍ストッカーだけが助かった。
 「イノシシと生きる」
私は目を見張った。
ぶあつい!
厚みの立派な牛肉が、まだ食べてもいないのに確かな噛みごたえを伝えてくるので、生つばがぴゅーっと湧き出た。家庭のご馳走の延長でありながら、わざわざ外にすき焼きを食べにきた昂奮。そのへんをちゃんとわかっていてくれるから、だから浅草が好きなんだ。
煮えばなの牛肉を溶き卵に浸し、とろりと口の中に押し入れると、祝祭感でいっぱいになる。

トモコさんが語る、両親にとってのすき焼きは、父が現役のサラリーマンであった時代、私の両親にも共通する感慨があったのではないか、と思う。そして、締めのこんな一言がしみる。

昔日もいっしょに運ぶ浅草仲見世右裏、夏のすき焼きである。
 「すき焼きを浅草で」

これはやってみよう、行ってみたい、読んでみようと思わされる

「禁酒會館」
禁酒! 繁華な街のどまんなかで不意打ちに遭い、駆け込んでみなくちゃと気が急いた。もちろん禁酒が目的ではない。
国登録有形文化財だった。
大正十二年に建てられたドイツ風の建築様式で、凄まじい岡山大空襲も逃れた当時のままの姿で保存されていると知ってびっくりする、キリスト教の流れを汲む禁酒運動家の成瀬才吉と河本正二が資産家の協力を得て建設、ここを拠点に日本禁酒同盟の啓蒙活動がおこなわれていたというのも、もちろん初耳でした。
路面電車のガタゴト心地いい音を聞きながら、一階の喫茶店でコーヒーを飲んだあと、名残惜しくて建物の外に回ってみた。そこでまた、あっと声がでた。
禁酒會館のすぐ右奥に、壮大な西の丸西手櫓。岡山城の城郭を遺す国重要文化財がそびえている。ということは……この地点に江戸と大正と昭和がぎゅっと凝縮されている。酒が一滴もなくても頭がくらくらしてきた。
 「不意打ちの禁酒」

他にも、
そうめんのつゆとしてのサバカレー(「夏の即戦力」)や家庭で出来る経口補水液(「命を守る練習」)は、作ってみようと思わされる。

チェーンじゃない立ち食いそば屋があって、その名物に紅しょうが天ぷらがある、ということ(「紅しょうが天ですよ」)、そして「初めての立ち食いそば体験に、これ以上ふさわしい店はない」という人形町の福そばに行ってみたい!(「立ち食いそばに行こう」)

「四日間の空白 沢村貞子の日記文学」を収録した『野蛮な読書』(集英社文庫)、そのもとになった沢村貞子『私の献立日記』、和田誠・村上春樹『Portrait in Jazz』は読みたくなる。
そして90代の現役バーテンダーを描くドキュメンタリー映画「YUIKIGUNI」、見てみたい。

そして、まだ読んでいない平松洋子のエッセイを読みたくなった。

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