動作中の客観視について
こんにちは、たかひとです。
スポーツ選手にとって、客観視というか自分の姿を眺めるのは大事、という記事を見ました。
そこには、動作中の客観視という考えがあって、例として自転車の習い始めが紹介されていました。
最初は、自分の表情を意識したり、周囲の風景を眺めるような余裕がない。
倒れないように必死に考え、工夫しているから、それ以外に意識がいかない。
でも、自転車に乗ることが自然になった後に、始めて自分の表情や風景を意識できるようになる、とのことでした。
以上のことを、かつて吃音だったときに当てはめると、最初は自分が話すことに精一杯。
呼吸をどうするか、第一声が上手く出せるか、など。
しかし、意識しながら練習している内に、
思いがけず発語がスムーズにいくことがある。
それは、だんだん意識するのが疲れてきたり、
億劫になってきたときに、起こりやすかった気がします。
意識領域から無意識領域に移った、ということかな。
あと、反復練習により、余計な力が抜けてきたこともあるでしょう。
動作中に自分を客観視できるということは、その動作がある程度自然になって、次を考えなくても勝手にできてしまうようになってから起こる、とのこと。
意識しないでも、言葉が口からあふれてくる理想の状態です。
そうなると、余裕が出てきますね。
結局、力が出る状態は考えていない状態で、その状態で自然に出る動作を日常の練習で身体に沁みつかせることが大事。
動作中の客観視は、そのための一里塚といえるでしょう。
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