別れと三大文明

令和の12月は訃報が続いた。

友人の母、友人の父、そして、今日、同級生たけさんの通夜があった。

ずいぶんと同じ場所で同じ時を過ごした仲間だというのに、たけさんのことは、ほとんど思い出せず、俺が言ってきたひどい言葉を、遺影をみながらおもいだしていた。

坊さんが長い読経あとの説法でよいことを言っていた。

「故人に、ありがとう。ごめんなさい。を伝えるように。言えなかったこと、たくさんあるでしょう。この世で最後の夜。どうか、言えなかったありがとう。ごめんなさい。を伝えてください。」と。

たけさんと中学卒業後、再会したのは、大学病院の救急センターだった。呼吸器と、ピッピッピッという何とかという機器の音。左足をちょっとまげて、右足を放り出して、酔っぱらったまま寝ているようにしか思えなかった。肌の色も悪くなく、今にも、起きてきそうだった。ただ、とんとんしてみたけど、反応はなかった。

家族が呼吸器を外す決断をしたというメッセージが流れてきたのは、つい数日前のことだ。

聞いてはいたが、こういうこと本当に身近におきるのだな。先の、友人の母や、友人の父の場合は、いわゆる危篤という状態が続いていたのだろうけど、その日をあらかじめ決めているわけではないだろう。一日でも長く。家族はそう思っていたのだと思う。

たけさんの思い出は、たぶん、こんなときだからだれもいわないだろう。だけど、不謹慎だとおもうけど、彼のことを語り継ぐためにも記しておこう。そう、これも坊さんが言った説法の中にあった。どうやら釈迦が最後に言った説法らしい。語り継ぐことが永遠に生きることにつながる。そういうニュアンスだった。

遺影でもその面影は、記憶と全く変わっていなかった。彼は中一の時、三大文明の一人といわれていた。歴史で学ぶ黄河文明や、エジプト文明になぞらえて、だれかが言い出した。

たらこ三大文明

いわゆるたらこくちびるを代表する3人のうち一人だったのだ。考えてみると中学生ってのは、本当に残酷なあだ名を他人につける。たらこ三大文明の筆頭が、たけさんだ。

そのほかに、とがしっていう女の子と、こんどうってのちに転校した男が、たらこ三大文明を築いていた。

残念ながら、今日はたらこ三大文明がそろうことがなかったけど

今日、説法を聞いて、たらこ三大文明を記録に残して語り継いだ方が、たけさんは実は喜ぶんじゃないかなと思った。

たけさんとは卒業以来、一度もあわなかったのだけど、それは厳密にいうと嘘だ。数年前、地元のスーパーで一度見かけたことがある。あのたらこくちびるを忘れるわけがない。すぐ認識した。そして、その遺伝子をしっかり引き継いだ娘とたけさんが、楽しそうに買い物を袋に詰めているのを見て、あったらこのたけさん!そうおもったが、声をかけずに離れた。俺のことをおぼえているかわからなかったから。

たけさんの通夜には、多くの友人があつまってきた。同期が集まるのが、だれかとの別れになる年齢になってきた。なかにはつい最近会った仲間もいるけど、たけさんが集めてくれなきゃ決して会うことのない昔の仲間もいた。

ありがとう。たけさん。みんなを集めてくれて。

俺は、今日は早々に会場を後にした。転校生だった俺は、小学校を一緒に過ごしていないし、みんなほどたけさんとの思い出がないのだ。その場所にいるのはなんだか別の意味でつらいものだ。おれに話せることはたらこ三大文明しかない。ごめんよ。たけさん。三大文明なんて言っちゃって。でも、時を改めてみんなでたけさんを語る時がきたら、かならずたらこ三大文明を語るつもりだ。明太子入りの卵焼きでもつまみながら。

生まれてくるものは必ず死ぬ。だから無常。仏陀はそう言ったそうだ。

無常なんかではない。

別れは不思議な出会いを生み出す。今までしゃべったことのない相手とも同じ思い出をきっかけに話すこともある。たとえ、それがたらこ三大文明でも。

たけさんだけじゃない。友人の母との別れも、友人の父との別れも。別れがあったから生み出される出会いもあるのだ。たけさん。三大文明残してくれてありがとう。






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