見られなかった日食、会えなかった人
12月26日に、部分日食がみられる。
そのニュースを今月の初めに知った。楽しみにしていた。
が、数日前より体調が芳しくなく、仕事をこっそりとセーブして自宅に持ちかえった。
年末の挨拶を兼ねた大量のメールを送信しながら
15時くらいに、ふと気づいてみた空は雲で覆われていた。
初めて日食を見たのはいつだっただろうか?
緑色の下敷き越しで見た覚えがあるからたぶん小学生だったんだろう。
ここ数年、ちょっとした
天体ショーがあるとなるべく注目している。
死ぬまでにあと何回見られるのか?
そんな事をつい意識してしまう。
200年生きる。
なんて豪語していた時期もあったけど、年々、お世話になった人や近い人、昔の友人が、なくなっていくのを見て、
他人事に思えなくなってきた。
教会にまじめに足を運ぶようになって、
運命を神に委ねてしまってから、
クラウドにこっそりしまったムフフなもの以外は、あまり悔いのない毎日を送ってるつもり。
自分自身で、コントロールできることなんて
ほとんどなくて、
コントロールできているように思ってるだけだ。
今の医療技術を駆使すれば、虚弱体質の自分でも
200年なんて
簡単に生きられるんじゃないかなとも
思う。
けど、
生死を決めるのは、神なのだ。
そう思ったら、ちょっとした特別な日をなるべくより特別にしたい。
日食があるなら見たいし、流星群が見られるなら見たいし、
見逃した日食、
テレビやネットで金環食までみることはできた。でも、そうじゃない。
網膜にダイレクトにリアルに写して脳の中に格納しておきたいのだ。
もう、何回見られるかわからないから。
自分に与えられた空間も時間も有限だ。
会えずに、一言言えずに、
それっきりになったり、音信不通になったりする人達も少なくない。有限の時間や空間を大切にしてきただろうか?
毎日会える場所にいない会いたい人が居る。
たしかに繋ぐツールはたくさん増えた。
だけど、網膜にダイレクトに焼き付けたい。
同じ空間を同じに過ごしたい。
会えるタイミングが重なるなら、出来るだけ会いたい。
これからの限りある時を少しでも彩り味わえるように。
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