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好きだった自分を取り戻す旅路(仮)つづき

自分の過去を言語化し、客観視することでもっと自分をよく知ろうというテーマの記事
パート2です。

前回は保育園・幼稚園を思い出してみました。


今回は小学生の頃について思い出してみます。
(追記:中学生までいこうと思ったんですが、思いの外小学生は思い出すことが多かったので区切ります!)
文章をまだ作成していない今の私からすると、一番やりたい仕事や好きなことの影響を受けだした時期だと覚えています。
果たして書き終えた時にどう思っているのやら…



【小学生の頃】

親の転勤で引っ越してきた関東で小学校に入学することになった私は、もうすっかり都会の子でした。(首都圏は大体都会だという田舎者の考えです笑)
田舎と違って幼稚園が同じだからといってみんな同じ小学校に入学するものでもなかったので、入学とともにまた新しい友達がたくさんできました。

 入学式当日にランドセルにつけていた防犯ブザーをいじって栓を抜いてしまい、なぜか栓が見つからず先生方に多大なるご迷惑をおかけしたこと。
どうしても通学路にあるカードゲームのガチャガチャを回したくてお店に入ってしまい、次の日目撃情報を元に先生に怒られたこと。
給食のお皿を3日連続で割ったり、スプーンを曲げる練習をしすぎて折ってしまい、先生から怒るというより呆れられたこと。
おっちょこちょいな面が怒られるようになった小学生時代でした。

クラスでは明るい性格とハキハキした授業態度だったので、いわゆる陽キャ。クラスの中心的な存在でした。
運動も勉強も好きで、人並みよりちょっとできるくらいでした。

そんな中、小学生での転機は2回ありました。
1回目は3年生からマーチングバンドの部活に入ったこと。
みんなで楽器を演奏しながらダンスや隊列を組むのはとても楽しく充実していましたが、裏ではいじめまがいの行為にあっていました。
普段は仲良くしているのに、部活の休憩時間だけはなぜか私が「菌」としてなすりつけられるのです。きっと純粋に遊びだったんでしょう。それ以降、普段でもきつい言い方や命令など、馬鹿にするような態度を取られるようになりました。


同じ人でも“一緒にいて楽しい時間もあるのに、嫌な気持ちになる時もある“という葛藤に悩まされていた頃、幸か不幸かまた親の転勤で地元に戻ることになりました。
当時は悩みが解決されると思い、いい方向に考えていましたが、そう簡単にはいきません。


4年生から地元の小学校に転校しました。
その小学校には、保育園時代に一緒だった数人がいたので、馴染むまでにそんなに時間がかかりませんでした。
しかし、転校して時間が経って見えてきたのは、近所付き合いや保育園卒園までの仲という絆が、かなーーーーり強いということです。
上辺では仲良くなれたけど深いところではまだ除け者で、知らない話も多く。なんだか周りには言いにくい孤独を抱えました。

また、遊びの種類も違っていて困惑しました。今考えるとすごく無理をして合わせにいっていたようにも思います。
前の学校ではいじめられがちだったことを隠して、この学校ではそうなるまいと振る舞っていたつもりでしたが…結局男の子や一部の女の子にいじめまがいのちょっかいをかけられる存在になっていました。


この時点から、自分の人生が嫌だなと思い始めました。
勉強も苦手ではないし、運動も人並みだけれど、うまく周りの友達と関係性を作れない。
悩んでいることを家族に伝えたら、家族に心配をかけてしまうかもと言い出せませんでした。
この感情がきっかけなのか、高学年くらいからIBS(過敏性腸症候群)が徐々に現れ出しました。
私はガス型(頻繁にオナラが出るタイプ)で、音や匂いに悩まされました。
学年集会で体育座りをした時に盛大にオナラをしてしまって男の子に問い詰めたられたことが鮮明に記憶に残っています。

最後に補足ですが、いじめられていましたが友達はいました!
そういう側面が確実にあったので、表向きは「完璧に信用できる友達!」
心の奥底では「8割ほど信用できる友達」であったような気がします。
IBSが現れていたこともあり、ずっと友達と一緒の行動やお泊まりはやんわりと断っていました。
この2点は今にも通ずる、他人に感じさせる「心の壁」の始まりかもしれません。

だんだん歯車が狂ってきましたね笑
次回の中学生編ではさらに悪化しますのでお楽しみに。。。

今回も読んでくださりありがとうございました!

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