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2024/5/20 8年と死とパテ

実母が沿線の最果てから来訪する。猫3を見たい、ということだった。買い物もしたかったので、最寄りから2駅先の大きな駅で途中下車してもらい、車で迎えに行く。

子どもたちがとても小さい頃はなんだかんだとよく来ていたが、2度の入院で我が家へ続く地獄のような坂をのぼる体力を捻出することが難しくなって以来、こちらから行くことしかしていなかった。助手席で「8年ぶりだわ」とつぶやくものだから、思わず「まじか」と言ってしまった。

頭の方はしっかりしているようで、待ち合わせした商業施設の店の入れ替わりや、我が家周辺の環境の変化にはやたらと敏感。ひとつずつ言及していた。ボケていないぞアピールかもしれない。

昼食とおやつを買い込んで我が家へと帰り、だらだらと話した。朝ドラが面白いとか、次は何が読みたいとか、町内会のカラオケ大会が面倒だとか、死やボケに備えてもう少し断捨離したいとか、そんな話。

来月で傘寿である。伯母や伯父のこともあってか、ここ5年ほど、実母との会話の中には死に関する話がカジュアルに登場するようになった。ネガティブでもポジティブでもなく、「あれを食べて美味しかった」とか「今期のドラマはつまらない」とかそういう世間話と同じテンションで。死はただそこにあって、もうすぐ迫ってくるものなので、とても身近で、ともすると親しみさえ覚えるものになっているのだろう。私も嫌なようにも恐ろしいようにも思わなかったので、そのように会話した。

「セクシー田中さん」が読みたいと言うので貸す。猫1〜3を順番に可愛がってから、麓の肉屋のパテを買いたいと言うので、送りがてら一緒に駅まで歩いた。子どもらは習い事で遅い日で会えなかったが、新しい猫を見るのが目的だったので、孫の顔はまた後日で良い、と言う。別に可愛がっていないというわけではない。今日は目的が違うだけ、と、実母の名誉のためにここに記しておく。そういう人だというだけである。

肉屋でパテとソーセージを選んで、老人として気を遣われるのが毎度いたたまれないので、鈍行で最初からずっと座って帰るのだ、と言い残して電車に乗り込んでいった。

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