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2024/7/1 休日・ピザ・祈り

先日意気揚々と洗った掃除機のフィルターであったが、全く乾かない。仕方がないので湿ったまま装着したところ、スイッチを入れると生乾き臭を放つようになってしまった。家電よ、君たちはなんて繊細なんだ。

「掃除機 フィルター 臭い」で検索をかけた。どうやら同じ思いをしている人はこの世に数えきれないほどいるようだった。フィルターは使い捨てではないが、洗い替え用にいくつも所有するのがスタンダードだということを知る。さして高い物でもなかったので、4つセットになったものをAmazonさんに持ってきてもらうことにした。家電の顔色をうかがう生活から早く脱したい。

市が成り立った日ということで、市民の休日だ。無論小学校は休みで、我が家の小学生たちも在宅。親は仕事である。夕方からの習い事は通常運転なわけだし、なんやかんや休日は出かけることが多いんだから、部屋でも片付けてなよ、と言ったら、兄弟はわりと素直に部屋にこもって謎の遊びを繰り広げている。彼らには彼らだけの世界がある。それがすごく不思議だ。兄弟とはそういうものなのだろうか。

私はひとりっ子で育った。競争がないから楽だったでしょう、と言われればそうだし、マイペースに育ったんだね、と言われればそうだ。寂しいでしょう、とも言われるが、これはよくわからない。例えば一緒に育った者がいたとして、それが途中でいなくなってしまったら寂しいだろうけど、最初から1人だったのでそういう「不在の感触」はそもそもないのだ。

だから自分で産んでおいてなんだが、兄弟は不思議だ。年も体格も近いせいで、服から何から全て共用だし、発達のレベルもほぼ変わらない。小競り合いやレベルの低い罵り合いは毎秒しているが、どちらかが泣かされたり手が出たりするような激しい喧嘩は1度もない。兄と弟というより双子に近い。そういう存在が家の中にいて、同じ物を食べて毎日同じベッドに寝てる(2つ用意してあるのに頑なにひとつのベッドに2人で寝る)のってどういう気持ちだろう。私がその感覚を知ることはもう一生ない。まぁ、あいつらがひとりっ子を味わうことも生涯ないんだけど。

うるせえので昼は材料を与えて兄弟に作らせた。「超熟」のイングリッシュマフィン(好き)と、ハム、ソーセージ、ピーマン、玉ねぎなど。ぎゃあぎゃあ遊びながら小さなピザトーストを量産する。まじでずっとしゃべっている。なぜなのか。

グリルで焼き上げたものを食卓の真ん中に積み上げて、インスタントのコーンスープと一緒に3人で食べた。2人は「はいこれ、お母さん用ね」と言って、ど真ん中にハムとピーマンを積み上げた不思議な形のピザを振る舞ってくれた。

親として子に多くを望むことはしないつもりだが、せめてこの先憎み合うことだけはないように、と密かに願う。

本やなにかしらのコンテンツに変わって私の脳が潤います。