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崔洋一監督とキムチ鍋と松尾貴史さんのモノマネと

日本映画監督協会の60周年記念パーティ、26年前の1996年の出来事。
大島渚監督はまだお元気で、理事長。
大森一樹監督と林海象監督の推薦で入会したばかりの私は、末席で縮こまっていた。
二次会に誘われ、どこなのか全く記憶がないが赤坂あたりの韓国料理屋の座敷を貸し切り。後から思うと崔洋一監督の差配だったのだろう。
私の右隣にこの時初対面のタレント松尾貴史さん。その右隣に林海象監督。
向かって正面に長谷川和彦監督、何故か上座に脚本家の田村孟氏。
長谷川監督「青春の殺人者」大島監督「少年」の人。

そうか。何故か、じゃなくて上座は至極当たり前だったのかも。
お二人とも田村脚本でベストワン獲ったのだった。
私から向かって正面右側、長谷川監督から1mくらい先に大島監督と若松孝二監督、崔監督が並ぶ。
今から思うと有馬記念に出るサラブレッドの厩舎に地方競馬の馬が一頭間違って入れられた感じ。
今でも鮮烈なまでにありありと目に浮かぶ記憶の映像だ。

そんな皆さんでキムチ鍋をつつくという異様。
林監督が長谷川監督を挑発し、田村さんが禅問答を繰り出す。
居た堪れない私は同じ神戸出身だと言う松尾貴史さんに縋るしかない。
この時親しくなった松尾さんにはのちに私の映画「能登の花ヨメ」と「神戸在住」に出てもらう。
何故か長谷川監督からホワイトホース1本を「お前にやる」と貰った事も忘れられない。
宴もたけなわ、崔監督がキムチ鍋のシメにとうどんをぶち込み、更に言う。
「納豆だ」
キムチ鍋のシメに納豆トッピング。
崔洋一監督から学んだことはこの納豆のことだけ。

さて、納豆シメうどんを平らげた後、大島監督が崔監督に促されてお開きのご挨拶。のはずがきこしめし過ぎてひっくり返って大の字。
大島監督、絞り出すような声で「松尾さん、代わりに、頼む」

大島監督になりきった松尾貴史氏の閉会の挨拶で全員がひっくり返ってうどんと納豆が口から出そうになるほど爆笑。
更に、倒れたままの大島監督が「松尾さん、ありがとう」と呟いて大団円ハッピーエンド。

今宵、ウチでキムチ鍋を作りながら思い出した、崔監督と大島監督の思い出。
納豆は入れなかったけど。

合掌

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