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noteは大切な人への手紙


noteの世界は”頑張っている人たち”で溢れている。仕事や趣味や子育てや頑張っている分野は様々でも、頑張っているという事実は自信であり啓発だ。それが自分では経験し得ない分野であれば俄然興味が湧き、経験値がある分野であればその方特有の別の視点に私の目から鱗が落ちる。

だから楽しい。


ふと思う。現実世界ではどうだろう。私は自分に自信がない。頑張ってもいない。自慢できるような実績もノウハウも無い。そんな私が、何かを頑張っていてキラキラ輝いている友人に対して抱く感情、それは気後れだ。だから何か夢中になって頑張れるモノをずっと探している。ドラマを観たり本を読んだりジャニーズにキャーキャー言ったり、それはそれで「いつまでも若い」とか「いつも楽しそう」って言ってもらえるけれど、なんか違うとずっと思っている。


note。この出会いが私を変えてくれるかも知れない。

現実世界ならとっくに気後れして、自分を卑下しておしまい、となってもおかしくないくらいキラキラ輝いている人たちの世界。そこにまだ私はいる。こうして毎日記事を書いている。

noteは相手の顔が見えないから?
遠く距離をおいているから?


いや違う。私の記事を読んでスキを押してくださり、コメントをくださり、フォローしてくださる。そういう方たちがいるということ自体が、私を支えてくれているからだ。「今のアナタで大丈夫ですよ」と言ってもらってる気がするからだ。


出会い。沢山ある記事の中から偶々私の記事に辿り着いてくださった。逆に「この人の書く記事をもっと読みたい」と思えるクリエイターさんに出会えた。どちらも奇跡みたいなもんだ。noteを始めたおかげで出会えた奇跡。noteの世界の何万何十万もの記事の中から見つけてもらえた奇跡。見つけた奇跡。


スゴい。スゴいぞ。


10年ほど前保険を見直して新規に入り直した。その時に担当してくださった方から便箋を渡され「どうぞご家族へのお手紙を書いてください。もしみとんさんに何かあった時にはお手紙はご家族の方へお渡しさせていただきます。保険に入られた皆さんにお願いしています。」と言われた。「はい、じゃ、また考えて書いときます」と言うと、「いえ、できれば今書いてください。皆さん後から書くとおっしゃっては忘れてしまいますので」と言われた。確かに。今すぐ保険のお世話になるわけではないと思うと、まぁまだ大丈夫、そのうち書こうと思ってそのまま忘れてしまいそうだ。


仕方なく私はその場で2分くらいで書き終えた。正直大したことは書けなかった。家族への感謝とか、私は幸せ者だとか、そんなような内容だ。いきなりだったし、傍で待たれては熟考などできなかった。ちょっと後悔している。


私がnoteを書いていることは娘たちしか知らない。次女は私の記事を推敲してくれているので内容を知っているが、長女は私のnoteを読んだことがない。長女は次女にこう言っているらしい。


「お母さんが死んだらお母さんのnoteを読むわ」


保険屋さんに託した手紙では充分ではない。だから私のnoteは私の生きた証であり遺言であり、家族への感謝の手紙だ。



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