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世の中の違和感に気付けるか


昨日、近所に住んでいた怖いおじいちゃんの記事を書いたがそれを書きながら思ったことがあった。


近所でも評判の口うるさいおじいちゃんではあったが、今思うと誰かの役に立ちたいという思いがあっただろうことに今更ながら気付いた私。


そこで思い出したのが村田沙耶香さんの小説『消滅世界』のこと。

村田さんは『コンビニ人間』で一躍脚光を浴び、当時ご自身がコンビニ店員であったことや、インタビューにおける不思議ちゃん的な言動から、またその作品の奇妙な世界観から、”ちょっと変わった人”というイメージが世間に強くインプットされた。今の時代”ちょっと変わっている”のは褒め言葉だと思う。何作か読んだが、ディストピア小説と呼ばれる空想世界の物語は、一見世にも奇妙な物語的だが、もしかすると将来そういう世界(価値観)になるかも知れないと思えて、そこが怖くて気色悪くて、クセになる。


『消滅世界』もそんな村田さんらしい一見気色悪い物語だ。

人工授精が発達して夫婦はパートナーではあるがそこに恋愛感情は無く、夫婦間での性生活は近親相姦。夫婦にはそれぞれ恋人(多くは漫画やアニメのキャラクター)がおり、人間同士が恋愛関係にあるのは少数派。
実験都市・千葉は”楽園(エデン)システム”の元、男女共に人工授精をし(男性は体外に子宮となる袋をぶら下げて生活する)、出産。
生まれた子どもはセンターに預けられ教育を受ける。全員”子供ちゃん”と呼ばれ、大人は全員が”おかあさん”。

ここでは、出産は単に種をつなぐ意味しか持たず、そこに愛とか母性本能は無い。


この本の主人公は、このおかしな世の中のシステムをだんだんと受け入れていく過程で、古い倫理観を忘れていない母親のことを”世界がどんなシステムになっても違和感がある人は一定数いる”と表しているが、読者はまさにその違和感を感じている側。時代や倫理観が変化していく中では私たちは常に”途中”で、今の”正しい”は将来”異常”と呼ばれる側になっているかも知れないのだ。とまぁ村田さんの小説はいつも、人間はいまだ進化の途中だというのがテーマだ。


‥さて。これが、近所のおじいちゃんとどう繋がるか。私が思ったのは、おじいちゃんが自分ちの孫だけでなく、うちの娘やその他大勢の子ども達に、そして大人達にまでなんだかんだ口うるさくしていたのには、誰かの役に立てれば良いという思いがあってこその行動であったとするならば、『消滅世界』での、皆が子どもちゃんで皆がお母さんの世界は、案外悪くないのかも知れないということだ。もちろん自分が生んだ子どもに対する責任や愛情は持ち続けたいが、その一点を除いて、ということ。


そうすれば皆が平等に教育を受け、大人は分け隔て無く全ての子どもに愛情を注ぎ、そこには誰かと比べてマウントを取ろうなんていう考えは無くなるのではないだろうか。


昔はご近所全体で地域の子どもを見守っていこうというような雰囲気があった。私が住んでいる所は田舎なので、子ども達は誰彼なく挨拶してくれるし、どこの子も礼儀正しく皆とても可愛い。今やイジメは子ども達の教室の中だけの問題では無い。インターネットで会ったことも無い相手を誹謗中傷しても平気な人たちが大勢いる。『消滅世界』は少し極端な表現方法ではあるが、村田さんは気色の悪いディストピアを描くことで、逆に今の時代の異常さに警鐘を鳴らしているのかも知れない。



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