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衝撃的な事実


noteの森をフラフラしていたら、ある記事が目に止まった。
自分がフォローしたりされたりしているわけじゃない、そんな人の記事に出会う方法はいろいろあるが、その日私は、私が誰かの記事にコメントをしたそのコメントにスキをくださった方のところに飛んでいった。すると、その方(仮にAさんとする)が日頃から仲良くしていたnoterさん(仮にBさん)が突然noteを退会することになったという内容の記事を見つけた。なんの気なしに読んでいくと、そこには衝撃的な事実が書かれていたのだ。


それは、noteを退会するとその人の記事だけではなく、コメントまで削除されてしまうという事実だ。Bさんは“しばらくお休み”ではなく“きっぱり退会”であるので、記事自体がnoteから無くなってしまうのはある意味仕方ないと思う。もちろん、Bさんの記事を読み返したくなってももう二度と読めないのはとても寂しいことだが、退会した後も記事が残るのはBさん的にはイヤかも知れないし、アカウントが無くなっても記事だけが存在するのも考えてみればおかしなことなのかも知れない。だから記事自体が削除されてしまったという点は百歩譲って納得しよう。
しかし、コメントは?コメントってアカウントが無くても出来るんだっけ?


最近の私にとって、コメントのやり取りはとても大切かつnoteを続ける上で一番のモチベーションでもある。自分が誰かにしたコメントに関しては正直細かいことまでは意外と覚えていなかったりするが、逆に私の記事にもらったコメントはしっかり覚えているし、心に残ったコメントは今でも時々読み返している。


コメントって記事よりも、書いた人の“色”が出てる気がするから面白い。ナマの声というか、普段のその人というか。だからとっても大切。なのに、退会したBさんのコメントは全部削除されてしまっていたそうだ。このことを娘に話すと「そりゃそうでしょ」と、これは当たり前のことだったらしい。私が知らなかっただけなのだ。


だとしても、これは悲しすぎる。私はAさんのこともBさんのことも知らないけれど、noteの世界にいる者同志なら、私や私がいつも仲良くしている人たちに置き換えてみたら、その落胆はわかりすぎるほど分かる。


スクショしとけば良かった」‥確かにそうかも。でも、長い時間をかけてのいろいろな方のいろいろな記事でのいろいろなやり取りを全てスクショしておくのは難しいことだ。スクショしたらしたでそれを整理しておかないといけなくなるだろうし。そう考えていたら、なんだかどうしようもなく胸にモヤモヤが渦巻いた。このモヤモヤ、どうする?


だがふとこんなことも思った。Bさんのコメントだけが削除されたなら、Bさんとコメントをやり取りしていた相手の人のコメントだけが今コメント欄に残ってるってことだ。何のコメントも無いのに、それに応えてる部分だけが残ってるってことだ。想像したらなんだかすごく間抜けなコメント欄な気がしてきて、ちょっと可笑しくなって笑ってしまった。


いや、笑ってる場合ではないのだ。何か対処したほうが良いのだろうか。お願いだから、少なくとも今私が関わってる人たちはnoteを辞めないでください!!!と願わずにはいられないのだった。



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