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小田急線事件を「フェミサイド」と呼びたくない件

1. 事件(超断片的整理)

36歳の男が店で万引きをして女性店員に説教されその女性店員を逆恨みして殺そうと思ったが店が閉まっていたため「幸せそうな女性なら誰でも」殺そうと思い小田急線に乗り乗車後小田急線の車両内で20歳の女性を差した。(以上、各種報道およびツイッターより得た情報の要約。)

2. (世間の) 反応

大別して2つある。

・男の「弱者性」を唱えるもの

・「フェミサイド」と捉えて非難するもの

前者は論のほとんどが論外であるので、論じない。後者に絞って後者に対する違和感を述べる。

3. 「フェミサイド」論への違和

「フェミサイド」(femi-cide) とは、「女性殺し」の意らしい。上記の36歳男が語ったとされる「幸せそうな女性なら誰でも」のくだりに着目し、同男に潜在する女性への憎悪(「ミソジニー」) を問題とする。分析としては的確かと思える。

しかし同男が男をいきなり刺す事件であったらば同男の挙は許されたのだろうか。

また同男は本当に「幸せそうな女性なら誰でも」刺すことを意図していたのか。(小田急線に乗る前に対面していたその女性を刺すことが男の本当の意図ではなかったのか。)

「幸せそうな女性を殺さないで」とのタグも見かけた。まったくおかしな話に見える(日本国憲法13条と14条をダブルで否定するかのようだ)。分析と抑止が転倒していないか?

「いきなり刺すな(電車の車内で)」が、改めて強調されるべきことではないのか。

個人が誰はばかりなく幸せを享受するのは当たり前の話だ。妬む男がおかしい(女であれば、女も)。そんなげすな憂さ晴らしにサラダ油を使うなと言うべきではないのか。

そして、悩みがあるならまず相談を、と言うべきではないのか。

(ことの次第が完全には詳らかになっていない現時点では、抑止は包括的・分析は謙抑的で、あるべきではないだろうか。)

4. 結論(言うべきこと)

・サラダ油で憲法13条を殺すな

・カウンセリングファースト

5. 補足

現在の日本の世情が余りにも差別宥和的である点については、筆者は「フェミサイド」論と認識および懸念を完全に共有する。男性がかつての経済的な「特権」を剥奪されていること等が男性の「弱者性」云々等の背景にあるとも見えるが、それを是正しうる(憲法の保障する)民主主義的な諸手続きには向かわずに、その憂さを女性等にばかり向けているのは従来の男性のあり方・役割に照らして、むしろ最下等である。令和の男は差別に馴染み過ぎと思う:全世界に恥をさらした五輪限りで、この弊は打ち止めにするべきである。

「フェミサイド」は女性の話ではない:むしろ、男性の奮起が待たれると考える。

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